京都市上京区|「今出川」と呼ばれる川はどこを流れている?|京都地名由来【古地図】

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古地図

同志社大学、同志社女子大学などのある今出川一帯は学生の街としても栄えています。それでは「今出川」の地名由来となった川はどこを流れているのでしょうか。今回は、今出川の由来に迫ります。

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今出川と呼ばれる川はいったいどこ?

京都市街地の北部を東西に貫く幹線道路・今出川通は、東は銀閣寺の門前から西は京福電鉄・等持院駅付近まで延びる全長約7kmの通りを指します。

同志社大学、同志社女子大学も面していることから、学生の往来も盛んです。

「今出川」という名前から、川が地名の由来なのではないかと考える方は少なくないでしょう。たしかに大正時代までは今出川は流れていましたが、いまはその姿を消しています

いったいどうして今出川はなくなってしまったのでしょうか。

今出川がなくなった理由

今出川は、平安時代、「中川」「京極川」と呼ばれていました。平安京の造営にあたって人工的に掘られた川で、川沿いには平安末期から鎌倉前期の歌人・藤原定家、紫式部の曽祖父・藤原兼輔など貴族の邸宅が建ち並んでいたといいます。

中川が今出川へと転じた理由は、江戸時代の京の都の様子を描いた『中昔京師絵図』に次のように記されています。

この水、雲ケ畑の中津川より来る

中津川は中川のことを指します。つまり、いったん鴨川に合流した中津川の水が再び分出した際、まるで「今出てきた」ように見えることから、今出川と名づけられたと伝わります

あるいは、もとからの流路を街路に沿って新しく築いた川であったことからその名がつけられたともいわれますが、真相は定かではありません。

『中昔京師絵図』上、鴨川の左手を流れているのが今出川です。

東洞院大路(現・東洞院通)から南下した今出川は北小路(現・今出川通)で2本の川筋に分流。1本の川筋はそのまま南下して一条大路で東へ流路を変更、もう1本の川筋は北小路を東へ流れ、東京極大路(現・寺町通)で南下します。両者は東京極一条で再び合流、そのまま南下して鴨川に合流しました。

しかしその後、都市化に伴って今出川の流路は徐々に地下化され、埋め立てられていきます

それでも、大正初期には現在の同志社大学前から河原町通にかけて河道が残されていたが、大正6年(1917)、京都市電今出川線の烏丸今出川から寺町今出川までの延伸工事の際、道路の拡幅工事がおこなわれ、暗渠化されました

こうして今出川は姿を消しましたが、地名や駅名などにかつて流れていた川の名残を見出せます。

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