お寺

京都古絵図|かつて金閣の周りはすべて池だった!時代の流れの中で姿を変えた古寺

きらびやかな輝きを放つ金箔  延暦13年(794)の平安遷都以降、京都は日本の首都として1000年以上もの歴史を刻んできました。町中を歩けば、古都の華やかな雰囲気をいまに伝えてくれる歴史ある建物を多く見ることができます。  平成6年(199...
古地図

京都古地図|京都にはなぜ「東本願寺」と「西本願寺」がある?その理由

本願寺はなぜ京都に建てられたのか  京都駅の北には、広大な敷地を持つ2つの寺院が存在する。堀川通花屋町の西本願寺と烏丸通七条の東本願寺である。 『京大絵図』を見ると、江戸時代からすでにこのような形になっていることがわかるが、同じ「本願寺」で...
日本史

京都古絵図|石庭で有名な龍安寺、しかし江戸時代に名を馳せたのは池だった!

石庭よりも池にスポットライトを当てた名所図会  室町幕府8代将軍・足利義政の時代、禅宗の思想が反映された東山文化が発達した。名称は、義政が建立した東山殿(慈照寺銀閣)にちなむ。  東山文化を代表する庭園のひとつに、龍安寺の石庭がある。水墨画...
古地図

京都古地図|船岡山は京都の町の基準点だった!?

清少納言も褒め称えた景勝地  京都市の北部に、標高約112メートルの船岡山(ふなおかやま)はそびえる。その威容がまるで船のようであることから、または船を伏せた形に似ていることから、その名がついたといわれる。  現在、山頂は公園として整備され...
古地図

京都古地図|幕末の古地図に「菊の紋」が描かれている理由

時代によって異なる禁裏の描き方  明治2年(1869)に東京奠都がなされるまで、京都御所は天皇の御在所であり、この場所で数々の儀式が執り行なわれてきた。古地図上では「禁裏きんり」と記される。みだりに内裏内へ入ることを禁じていたことから、そう...
日本史

よく「碁盤の目」といわれる京都の町割り、本当は碁盤目状ではない!

碁盤目状の平安京  延暦13年(794)に日本の都としてつくられた平安京は、中国の都・長安や洛陽をモデルとして大路・小路を碁盤目状に配した町割りがなされたことで知られる。これを「条坊制」じょうぼうせいという。  平安時代に成立した法典『延喜...
古地図

京都古地図|京都には江戸時代と変わらぬ場所に建ち続ける公家屋敷がある!

明治維新後、荒廃を余儀なくされた京都  現在、京都御苑として整備されている東西約600メートル、南北約1200メートルの広大な敷地のなかには、京都御所以外の建物はほとんどない。 京都御所紫宸殿。  しかし『京大絵図(1686年刊)』を見ると...