江戸時代の増上寺はとにかく広かった!
都営地下鉄浅草線・大江戸線の大門駅の西、芝大門交差点の近くには、道路をまたぐようにして大きな門がそびえています。これが「大門」という地名の由来となっている増上寺の表門です。
現在、大門から増上寺までの通り沿いにはホテルや商店が建ち並んでいますが、江戸時代、ここは増上寺の門前町でした。ここだけではありません。現在の住所で「芝公園」という名がつくエリアのほとんどは増上寺の寺域だったのです。
増上寺はもともと江戸城近辺にありました。
天正18年(1590)、徳川家康が江戸へ入府すると、時の住職・12世源誉存応は家康と関係を持つようになり、それが機縁で増上寺は徳川家の菩提寺となりました。
そして文禄元年(1592)、家康から芝に広大な寺域を賜ると増上寺は同地に移り、関東浄土宗の総本山として栄華を誇ったのです。承応元年(1652)頃には境内に120余の建物が建ち並び、3000名もの学僧がいたと伝わります。
古地図上に記されている「表門」が現在の大門です。そこから門前町が広がり、増上寺の境内へといたりました。古地図からは、浜御殿(浜離宮。6代将軍徳川家宣の別荘)と同じくらいの規模を誇る寺だったことが読み取れます。
広重が描いた『東都名所芝神明増上寺全図』を見ると、広大な寺域を誇っていたこと、また多くの人々の崇敬を集めていたことがわかります。
いまに伝わる増上寺の名残
江戸幕府が滅ぶと、増上寺の境内のほとんどは明治政府に接収されました。その跡地につくられたのが、芝公園です。上野、浅草、深川、飛鳥山の各公園とともに、日本初の公園に指定されました。
さらに第2次世界大戦時にほとんどの建造物を焼失。現在は焼失を免れた三解脱門(1622年の建立)や黒門、再建された大殿など、往時に比べればわずかな建物を残すのみとなっています。
ですが寺を囲むようにして広がる芝公園の松の木は、江戸時代の境内にあった松並木の一部であり、増上寺から東京タワーへ向かう途中にある小高い森には観音像が祀られたお堂なども残ります。
現在の増上寺の周辺を歩けば、そこにはかつての増上寺の栄華がたしかに秘められているのです。
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