江戸の古地図|「番町」の町割はかつての旗本屋敷の名残!!

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古地図
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「番方」が住んだから「番町」!

 高層ビルが建ち並ぶ東京にあって、なかなか江戸時代の名残を見つけることは難しい。だが、それでも注意深く観察すると、確かに当時の面影を感じられる場所もある。

 たとえば、東京メトロ有楽町線・市ヶ谷駅から麹町駅にかけての一帯。現在、閑静な住宅街が広がるエリアだが、地図をよく見ると、整然とした町割りがなされていることがわかるだろう。じつはこの町割りは、江戸時代からほぼ変わらずに受け継がれているものなのである。

『東都番町絵図』

 千代田区一番町から六番町にあたる一帯は、「番町」と総称されている。ただ、江戸時代の番町地域は、いまよりもはるかに広かった。現在の()(だん)、富士見、飯田橋辺りまでがその範囲だったのである。

 江戸時代、多くの旗本がこの地一帯に屋敷を構えていた。

 旗本の仕事はおもに「番方(軍事を担当)」「役方(行政を司る)」からなる。そのうち番方が多く住んでいたことから、「番町」と呼ばれるようになった。『東都番町絵図』(1849~62年刊)を見ると、所狭しと武家屋敷が建ち並んでいる様子をうかがうことができる。

 番方は、大番組、書院番組、小十人番組に組織された。そのなかで大番組は一番から六番組にわかれて編成され、組によって居住区域がわけられたため、「一番丁」から「六番丁」という番地が誕生した。

踏襲された番町の区割り

 もともと、徳川家康は江戸城の防備を固めるために城の西方にあたる番町に旗本を集住させたというが、幕府が瓦解し、明治時代が訪れると、旗本屋敷は明治政府によって接収された。

 旗本に代わり、番町に住んだのは明治政府の高官である。こうして旗本屋敷はそのまま官邸へと姿を変えた。その後もたたずまいは変わらずに昭和まで受け継がれていくが、第二次世界戦時の空襲によって、一帯は焼失した。

 戦後、町の再建がなされるなかで、江戸時代の街区はほぼそのまま踏襲された。そのため、現在も古地図とそれほど変わらない町割りを見ることができるのである。

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