古地図で辿る歴史の舞台・「桜田門外の変」の現場を歩く

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古地図
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粛清された大老・井伊直弼

 安政5年(1858)6月19日、江戸幕府はアメリカ総領事ハリスと日米修好通商条約を締結。長きにわたった鎖国体制に終わりを告げました。

 しかし、大老・井伊直弼が朝廷の許可を得ないまま条約締結に踏み切ったため、尊王攘夷派の志士たちはこれを非難。安政7年(1860)3月3日、水戸浪士ら18名は江戸城桜田門前で直弼を暗殺しました。

 これを「桜田門外の変」といいます。

 水戸浪士たちは当日、どのような行動をとったのか。実際に現場を歩いてみましょう。まずは東京都港区愛宕1丁目にある真福寺へと向かいます。

外国大使の宿泊所となった真福寺

 東京メトロ日比谷線・虎ノ門ヒルズ駅から徒歩3分のところに建つ真福寺は真言宗智山派総本山智積院の別院で、古くから「愛宕のお薬師さん」として信仰を集めてきました。

 開基は慶長10年(1605)。徳川家康より賜った愛宕下の土地1360坪に堂宇が築かれました。その威容は、『江戸名所図会』にも描かれています。

『江戸名所図会』

 江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結したのち、イギリス、フランス、ロシア、オランダとそれぞれ同様の条約を締結しました。

 このとき、フランスとロシア、オランダ使節の宿泊所となったのが、この真福寺でした。

 なお、イギリス使節が宿所としたのは港区芝の西応寺。同寺には、のちオランダ公使館が置かれます。

火伏せの神として信仰を集めた愛宕神社

 直弼の暗殺を計画した水戸浪士たちは、安政7年(1860)3月3日早朝、愛宕神社に集まりました。

『江戸名所図会』

 愛宕神社は慶長8年(1603)の創建。祭神は火の神・火産霊命ほむすびのみこと。徳川家康によって防火の神として祀られ、江戸市中の火伏せの神として崇められました。

 標高25.7mの愛宕山上に位置する愛宕神社は当時、江戸市中でも屈指の高所にあったことから、境内からの見晴らしは江戸随一であると謳われました。現在は周囲に高層ビルが建ち並び、かつての景観をうかがうことはできません。

 水戸浪士たちはなぜ愛宕神社に集ったのか。それは、軍神として武士の信仰を集めた勝軍地蔵菩薩が祀られていたためです。直弼を襲撃する前に、彼らはここで戦勝祈願を行なったのでした。

 本堂右手に、昭和16年(1941)に建立された「桜田烈士愛宕山遺跡碑」が建っています。

 なお、当日の天候は季節外れの大雪でした。

井伊直弼が暮らした彦根藩上屋敷跡

 水戸浪士一行は愛宕神社で戦勝祈願を済ませたのち、現在の愛宕通りを通って江戸城へと向かいました。

 当時、井伊直弼が暮らした彦根藩上屋敷は、現在の憲政記念館付近にありました。江戸城桜田門から西へ500mほど行ったところです。

  安政7年(1860)3月、直弼は病床にありました。実際、3月2日は江戸城へ出仕せず、上屋敷内で療養しています。

 しかし3日は5節句のひとつ・上巳の節句にあたり、将軍との定例謁見日であったことから、どうしても登城する必要がありました。

 朝5ツ(午前8時ごろ)、江戸城内で太鼓の音が鳴らされ、諸大名が登城を開始。辺りには、大名行列を見るために大勢の江戸っ子が詰めかけました。

 直弼一行が上屋敷を出立したのは、朝5ツ半(午前9時ごろ)のことでした。

桜田門外で起こった悲劇

「安政五戊午年三月三日於イテ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」

 桜田門に集結した水戸浪士たちは左翼と右翼にわかれ、大名行列を見物する人々の間に身を潜めながら「そのとき」を待ちます。

 そして直弼一行の行列が桜田門に差し掛かったとき、浪士たちは見物人の群れから飛び出るや、ピストルの合図で行列を襲撃。直弼を暗殺しました。

 当時は降雪のため、井伊家の行列は雨合羽を着用し、刀に柄袋をつけていました。そのため浪士たちへの対応が遅れ、むざむざと主君を殺されてしまったのでした。

 直弼を討ち取ったことを確認した浪士たちは、ただちにその場から逃走。直弼の首級を挙げた薩摩藩出身の有村次左衛門も、首を片手に逃亡をはかります。しかし、彦根藩士に斬りつけられた傷が深く、 三上藩上屋敷(現・パレスホテル周辺)まで逃げたところで自決しました。

 この事件を主導した水戸浪士の関鉄之助は直弼の首が落ちたことを確認したのち、越後まで逃げ延びました。ですがそこで捕縛され、江戸・伝馬町牢屋敷で斬罪に処されました。

 そのほかの浪士たちも自決、あるいは斬首されましたが、増子金八、海後磋磯之介の二人は逃げ延びることに成功し、明治の新時代を迎えています。

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