明治維新後、荒廃を余儀なくされた京都
現在、京都御苑として整備されている東西約600メートル、南北約1200メートルの広大な敷地のなかには、京都御所以外の建物はほとんどない。

しかし『京大絵図(1686年刊)』を見ると、京都御所(古地図上、禁裏と表記)の周囲にびっしりと公家の邸宅が建ち並んでいたことがわかる。

たとえば御所の北には近衛家、西北には一条家、南には九条家、鷹司家などが配されていた。いわば、京都御苑には公家町が形成されていたのである。
京都御苑の地に公家の邸宅を集めたのは、豊臣秀吉だった。
秀吉は、自らの権威を保証する存在として朝廷を敬った。禁裏の改修を行なうとともに、公家屋敷をその周囲に集めた背景には、公家を貴族として遇することで覚えをよくし、その上に立つ天皇の権威を借りるという思惑があったと見られている。
江戸時代に入っても公家町の形成は進み、幕末には138家存在していたという。
しかし明治維新後、日本の首都は東京に定められた。皇居が東京に移ると、必然と公家たちも東京へと移り住むこととなった。荒廃した一帯には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、また、博覧会などが開かれる世俗的な空間へと変貌した。
だが明治10年(1877)、公家町は大内裏保存事業として整備されることとなり、その宅地は坪15銭ほどで明治政府に買い上げられた。また、1戸につき15円の引越料が下賜された。こうして多くの公家屋敷は、取り壊されることになったのである。
現代に受け継がれる公家屋敷
そのなかで、いまでも江戸時代と変わらない場所に建つ公家屋敷がある。同志社大学今出川キャンパスに囲まれるように存在する冷泉家だ。

明治維新後、多くの公家が京都を離れるなか、冷泉家は京都御所を守る留守居役という役割が与えられた。そのため、同地に残ることになったのだ。
やがて明治10年(1877)以降、明治政府や京都府主導のもと、公家町跡は京都御苑として整備されていったが、冷泉家は昔と変わらず場所に屋敷を構え続け、その歴史をいまに伝えているのである。

なお、現在の志社女子大学今出川キャンパスの場所には、江戸時代、二条家の邸宅があった。公家屋敷跡を現在もそのまま利用している大学は、全国でも同志社女子大学だけだ。
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