高級住宅街・世田谷にはなんと中世の城跡がある!?「世田谷城阯」に登ってみた

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城郭
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世田谷吉良氏が築いた城

 2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一らが開発した田園調布をはじめ、世田谷といえば「高級住宅街」をイメージする人は多いだろう。

 そんな世田谷に、中世の城跡が存在することをご存じだろうか。世田谷区豪徳寺2丁目に位置する「世田谷城阯」である。標高約37メートルの平山城だ。現在の豪徳寺周辺が本丸、世田谷城阯公園は郭の一角であったと考えられている。

 世田谷城の歴史は、14世紀にまでさかのぼる。清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏初代治家が関東管領・足利基氏から戦功として世田谷領をもらいうけ、城を築いたことにはじまると伝わる。

 はたして吉良氏がいつ頃から世田谷に移り住んだのかについては定かではないが、治家が鶴岡八幡宮に宛てた永和2年(1376)の書状が残っているので、少なくともこの頃には世田谷領を治めていたことがわかる。なお、「世田谷吉良殿」などと呼ばれるようになったのは15世紀に入ってからのことだといわれる。

 世田谷吉良氏は鎌倉公方、関東管領・上杉氏を経て北条氏に仕え、北条氏と姻戚関係を結ぶことでその庇護下に入った。

 しかし天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏が滅亡すると、世田谷吉良氏もまた没落。上総国生実(現・千葉県千葉市)へと落ち延び、ここに世田谷城は廃城となった。

世田谷に残る中世の城跡

 現在の世田谷城にはかつての遺構はなく、土塁や空堀などにわずかな名残を見出せるのみとなっている。

公園として整備された世田谷城阯

 整備された階段を登っていくと、空堀と土塁跡へとたどり着く。

土塁と空堀跡

 石垣も確認できるが、近代的な間知石積みなので、土塁の崩落を防ぐために整備されたものと思われる。当時の遺構ではない。もともとの石材は江戸城改修の折に使われてしまったということだ。

 さらに階段を登っていくと、郭跡が見えてくる。

ベンチが置かれ、ゆっくりと休憩することができるようになっている。

 やはり建物跡はないが、大変きれいに整備されている。乱開発が進む都心にあって、これだけの遺構が残っているのは奇跡に近いといえるだろう。現在、都心は再開発が進み、次々と新しい超高層ビルが生み出されているが、このような歴史的遺構も大切に保存し、語り継いでいってもらいたいところである。

 

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