【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑧】長平の戦いを制した秦の白起が趙兵40万を生き埋めにする【春秋戦国時代】

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秦の流言飛語に騙された趙王

 中原諸国を圧し続けていった秦でしたが、その中にあって一矢を報いたのが趙でした。前269年には、(たい)(こう)(さん)(みゃく)(あつ)()で繰り広げられた戦いで、趙将・(ちょう)(しょ)が見事秦軍を退けています。

 趙が秦に並び得るほどの軍事力を誇った理由のひとつとして、6代武霊王の時代に「()(ふく)()(しゃ)」という遊牧民族の戦術を積極的に取り入れたことが挙げられます。

 騎兵を主体とした軍は、機動性において他の諸国の軍を圧倒しました。ですが趙の新たな戦術は、瞬く間に他の諸国でも取り入れられていきます。とくに秦は趙同様に遊牧民族と境を接していたため、積極的に馬を輸入しました。そうしていつしか趙の戦術的優位性は徐々に失われ、局地戦において趙軍が敗れることが多くなっていったのです。

 前262年、秦将・(おう)(こつ)(じょう)(とう)(ぐん)を攻略すると、(ちょう)(へい)へと侵攻しました。これに対して趙の(こう)(せい)(おう)は、老将・(れん)()に長平城の守りを命じます。

 廉頗は城に土塁を築いて守りを固めると、ひたすら城に籠って持久戦に持ち込みました。秦軍は挑発を繰り返し、なんとか趙軍を城から引きずり出そうとするが、廉頗はこれに応じません。

 そうこうするうちに、3年もの月日が流れました。

 兵糧は無限ではなく、このままでは確実に秦の敗北が目に見えていました。ことここに至り、秦の宰相・(はん)(しょ)は力攻めではなく、廉頗の追放を画策します。そして趙の恵文王のもとへ間者を送ると、「秦が本当に恐れているのは廉頗ではなく、趙奢の子・(ちょう)(かつ)である」という根も葉もない噂を流したのです。

 恵文王自身、3年もの間、決着がつかないことにいら立ちを覚えていました。そこで噂を信じて廉頗を罷免し、趙括を将軍として長平へと送り込んだのでした。

 幼少の頃から兵法を学んでいた趙括は、自身のことを天下でもっとも優れた兵法家だと自負していました。しかし、それはあくまでも机上の空論に過ぎませんでした。このときまで、一度足りとて実戦経験がなかったためです。

 趙の将軍交代を伝え聞いた秦の昭王と范雎は、勝利を確信します。そして白起を上将軍に任じ、長平へと送り込みました。

趙兵を生き埋めにした白起

 いざ一軍を率いることになった趙括は、自らの実力を天下に轟かせる機会が訪れたと発奮し、軍吏の配置替えを行ないます。

 それを伝え聞いた白起は、趙軍が総攻撃を仕掛けてくると悟りました。そこで営塁の防御を強固にするとともに、別働隊をひそかに埋伏しました。

 いよいよ戦いの狼煙(のろし)が上がります。

 趙軍の総攻撃に対して、白起も正面からぶつかります。しかし、じりじりと秦軍は押されていき、ついには営塁へと退却しました。

 趙括はこの機を逃さず、全軍に突撃を命じます。趙軍40万が怒涛の勢いで秦の営塁へと襲い掛かりました。

 ですが、これは白起が仕掛けた罠でした。わざと負けた振りをすることで、趙軍をおびき寄せたのです。白起は別働隊に命じて趙軍の退路を断たせるとともに、騎兵を使って長平城と趙軍との連絡を遮断。戦場で趙軍を完全に孤立させました。

 趙括が罠にはまったと気づいたときには、もう手遅れでした。

 白起は柵を巡らせると、趙軍40万を完全に包囲しました。40日余りにわたって包囲された趙軍は()()地獄に陥ります。趙括は自ら精兵を率いて突破を図りましたが、あえなく射殺されてしまいました。

 総大将を失った趙軍にはもはや戦う気力はなく、全軍が降伏しました。しかし彼らの反抗を恐れた白起は、趙兵40万をすべて生き埋めにして殺害したのでした。

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