【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑦】華陽の戦い|秦の将軍・白起が趙・韓軍15万を殺戮【春秋戦国時代】

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魏領へ侵攻する秦軍

 燕の楽毅が5か連合軍を率いて斉へ侵攻した際、じつは秦も燕の動きに呼応するように出兵し、斉の(いん)という都市を占領しました。しかし陰は秦領からは遠く、また、途中で魏領を通る必要もありました。

 秦の昭王は秦領と陰を連結すべく、前283年、魏の国都・大梁に向けて兵を送り込みます。ですが、燕・趙軍が援軍としてやってきたため、このときは退却せざるを得ませんでした。

 この趙の行動に激怒した昭王は、前282年、韓と魏を脅して無理やり同盟を締結すると、趙への侵攻を開始。趙の都市・藺と祁を落としました。さらにその翌年には離石をも征圧しました。

 一方この頃、南方の楚が東方への進出を開始し、徐々にその勢力を拡大しつつありました。そこで昭王は、前279年、(びん)()で趙と和約を結んで後顧の憂いを断つと、前278年、楚の国都・(えい)を攻略。その出鼻をくじきました。

 こうして北方、南方と憂いを取り除いた昭王は、再び魏への侵攻を開始。前276年に魏の2つの都市を落とすと、前275年にも2つの都市を占領しました。

 秦軍がいよいよ大梁にまで迫ったとき、韓の将・(ぼう)(えん)が援軍を率いてやってきましたが、秦軍はこれをあっさりと撃破。秦にはかなわないと悟った魏王は、(おん)(かつ)(じょう)することを条件として、()(ぼく)を願い出たのでした。

猛将・白起が圧倒的な力を見せつける

 それまで韓と魏は協働して秦に抵抗してきましたが、秦の猛威の前に、韓王は魏との関係を断絶。秦に帰属するという道を選択しました。

 韓の背信行為を許すことができなかった魏王は、趙に援軍を求めると、前273年、協働して韓の()(よう)へと攻め入りました。

 韓軍だけでは、2国の猛攻を退けることはできません。そこで韓王はすぐさま秦の宰相・()(ぜん)のもとへ使者を遣り、救援を要請しました。秦はこれに応え、将軍・(はく)()、客卿・()(しょう)の2将を戦地へと派遣しました。

 一般に華陽の戦いといわれるこの合戦は、秦軍の圧勝に終わりました。とくに白起の猛攻はすさまじく、魏軍、趙軍合わせて13万もの兵士の首を取ったと伝わります。さらには、趙兵2万を河中に沈めました。

 恐怖におののいた魏王は(なん)(よう)の地を献上するという条件で、秦に和睦を請いました。

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