江戸の古地図|日本最古の小石川植物園の歴史は江戸時代の「薬草園」にはじまる

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小石川植物園の歴史

文京区(はく)(さん)にある小石川植物園は300年以上もの歴史を誇る日本最古の植物園で、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といいます。

植物学の研究・教育をおこなう施設であり、明治10年(1877)、日本初の官立大学・東京大学が設置された際に同大学の研究施設とされました。

その小石川植物園の前身は、寛永15年(1638)に設置された「品川御薬園」にあります。

しかし貞享元年(1684)、園内にあった白金御殿の拡張に伴い、御薬園は小石川御殿内に移されることになったのです。

小石川御殿はもともと5代将軍・徳川(つな)(よし)が幼少期を過ごした屋敷で、敷地内に鎮座していた白山神社にちなんで「白山御殿」とも呼ばれました。なお、現在の白山という地名もこの神社にちなむものです。

その後、綱吉が5代将軍になって江戸城へ移ったことで、白山御殿は空き家となりました。そこで敷地内の北隅に品川御薬園が移されたというわけです。

このとき、御薬園の広さは1万4000坪余に及んでいたといいます。

8代将軍・吉宗の時代には、白山御殿の地すべてが御薬園に下賜され、4万4800坪という広大な園地を誇るにいたりました。

御薬園から植物園へ

明治時代の小石川植物園

御薬園の敷地内にあった建物として広く知られているのは、享保7年(1722)に設置された公立の医療機関・小石川養生所でしょう。享保7年(1728)、町医者である小川笙船しょうせんの建言を受けて吉宗が建立を命じたものです。御薬園でつくられた薬を庶民に処方したことから、「施薬院」とも呼ばれました。

当時、薬はたいへん高価な代物であり、庶民はなかなか手に入れられませんでした。それだけに、通院・入院ともに無料で利用できる養生所には、常に入所を望む人があとを断たなかったと伝わります。

また、御薬園は青木昆陽が食用の甘藷の栽培を試した地としても知られています。

明治維新後も養生所は「貧病院」として存続しましたが、すぐに廃止。こうして御薬園だけが残されることになりましたが、御薬園は植物園と名を変え、いまにその歴史を伝えているのです。

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