清少納言も褒め称えた景勝地
京都市の北部に、標高約112メートルの船岡山はそびえる。その威容がまるで船のようであることから、または船を伏せた形に似ていることから、その名がついたといわれる。
現在、山頂は公園として整備されており、そこから望む景色はすばらしいの一言。眺望に加え、中腹には織田信長を祀る建勲神社が鎮座することから、人気の観光スポットとなっている。
船岡山は、すでに平安時代から優れた景勝地として知られていた。平安時代の女流歌人・清少納言の『枕草子』でも、「岡は船岡、片岡、鞆岡……」と、岡の筆頭に挙げられている。貴族たちの遊興の場であり、また、多くの歌人が歌に詠む名所でもあった。

そんな船岡山であるが、じつは平安時代、ある重要な役割を果たしていた。一説に平安京の造営時、この山が町に通りを敷く際の基準点になったと考えられているのである。
玄武になぞらえられた船岡山
平安京への遷都が行なわれたのは、延暦13年(794)のことだった。新都として山城国(現・京都府)が選ばれたのは、自然景観が美しかったことや水陸の便がよかったことに加え、この地が「四神相応」の場所だったことが大きい。
四神とは四方を守る神のことで、北は玄武(山)、東は青龍(川)、西は白虎(道)、南は朱雀(水)を指す。船岡山は、北の守り神である玄武になぞらえられたのである。
古来、船岡山は聖なる山として人々から信仰されていた。実際、山の頂上には古代の祭祀遺跡と目される磐座が残る(諸説あり)。
そのような神聖な山だったからこそ、平安京の造営にあたっては重要な目印とされた。そして船岡山を基準として、その南の延長線上に幅員85メートルものメインストリート・朱雀大路(現・千本通)が敷かれ、そこを中心に町づくりが進められていったのである。船岡山から平安京北京極の一条通までの距離と、一条通から二条通までの距離が等しいことも、その計画性を裏づける。

時代を経てもその重要度は変わらず、豊臣秀吉が御土居を形成するまで、この船岡山が実質的に洛中と洛外を隔てる境界としての役割を果たした。北から都へ入る際の天然の要害であったことから、応仁・文明の乱時には西軍の城塞も築かれている。現在、船岡山周辺の地名が西陣と呼ばれるのはその名残である。
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