江戸の古地図|もともと寛永寺の参道だった上野広小路が盛り場として発展したのはなぜ?理由は
江戸時代
江戸古地図|飯盛女目当てに宿場町を訪れる江戸っ子、事実上の遊郭だった江戸四宿
五街道に設置された宿駅のうち、品川宿・板橋宿・内藤新宿・千住宿は江戸四宿と呼ばれました。江戸四宿には江戸っ子らも足しげく通ったといいますが、はたしてその目的はどこにあったのでしょうか。この記事では、江戸っ子が宿場町に通った理由について解説し...
江戸古地図|江戸の町の範囲は現在の東京のどこからどこまでだった?
「大江戸八百八町」という言葉を聞いたことがある方は多いでしょう。しかしじつは江戸の町の数はそれ以上に存在していました。この記事では、どこからどこまでが江戸の範囲だったのかを古地図を用いて解説します。 役所によって江戸の町の範囲は異なっていた...
江戸古地図|明暦の大火を機に拡大した江戸の町
明暦3年(1657)正月18日から20日にかけて江戸の町を襲った「明暦の大火」により、江戸の町のじつに6割以上が焼失しました。この記事では、明暦の大火を境として江戸の町がどう変わったのかを古地図を通じて読み解きます。 江戸の町を拡大させるき...
江戸古地図|江戸の町には上水に加えて下水も整備されていた!
大江戸には飲用水を確保するために上水が引かれていたことはよく知られている話です。一方で江戸の町には下水網も整備されていたことをご存じでしょうか。この記事では、江戸の下水について解説します。 大江戸に整備された下水が果たした役割とは? 南小田...
江戸古地図|江戸時代に同心が住んでいた八丁堀の由来は?なぜ掘られた?
現在、オフィス街が形成されている八丁堀エリアには、江戸時代、与力や同心といった幕府に役人が暮らしていました。この記事では、なぜ八丁堀という地名が誕生したのか、八丁堀が掘られたのはどうしてなのかについて解説します。 八丁堀の由来は堀の長さにち...
江戸古地図|寛永寺に黒門・・・上野戦争の痕跡を歩く
慶応4年(1868)5月15日、現在の上野公園一帯で新政府軍と彰義隊との一戦が繰り広げられました(上野戦争)。上野公園周辺を歩くと、当時の痕跡を見つけることができます。今回は、上野戦争の痕跡を古地図を使って辿っていきます。 上野戦争の概要 ...
江戸古地図|江戸時代の高田馬場は現在の早稲田駅周辺にあった!
多くの学生たちで賑わいを見せる現在の高田馬場駅周辺ですが、じつはその由来となった高田馬場はかつて早稲田駅周辺にあったことをご存じでしょうか。今回は、高田馬場の歴史についてご紹介します。
江戸古地図|神保町の由来は?本の街となった理由も解説!
神田神保町といえば、世界的に有名な古書店街として知られます。なぜ神保町という地名がついたのか、なぜ本の街となったのか。この記事では、神保町の地名由来にくわえて、神保町が本の街となった理由、歴史についても解説します。
江戸古地図|西はあるのになぜ東がない?厄除けの神様・西新井大師の歴史
東京都足立区にある西新井大師は、神奈川県の川崎大師とともに厄除け・開運霊場として信仰を集める古刹です。しかし西があるのであれば、「東新井」もあるのではないかと思う方もいるでしょう。今回は、西新井はあるのに東新井はない理由について解説します。