古地図京都古地図|わずか9年で取り壊された豊臣秀吉の聚楽第はどんな構造だった?【天下人の城】 壮大な規模を誇った聚楽第 本能寺の変後、織田信長に代わり天下の覇権を掌中に収めた豊臣秀吉は、天正13年(1585)に関白に就任。政治の世界においても実権を掌握しました。 翌年、秀吉は京都における政庁兼邸宅の建造に着手します。こうして完成した...2021.11.30古地図日本史
古地図京都古地図|源義経と弁慶が出会ったのは現在の五条大橋ではない?どこで出会った!? 牛若丸と弁慶が戦った橋はどこ? 牛若丸こと源義経と弁慶の対決――その舞台となったのが、鴨川に架かる五条大橋であることは広く知られています。 時は、いまから約850年前の平安時代にまでさかのぼります。 月が美しいある夜、牛若丸は笛を吹きながら...2021.11.29古地図日本史
古地図京都古地図|京都にはなぜ「東本願寺」と「西本願寺」がある?その理由 本願寺はなぜ京都に建てられたのか 京都駅の北には、広大な敷地を持つ2つの寺院が存在する。堀川通花屋町の西本願寺と烏丸通七条の東本願寺である。『京大絵図』を見ると、江戸時代からすでにこのような形になっていることがわかるが、同じ「本願寺」であり...2021.07.25古地図日本史
日本史京都古絵図|江戸時代の三条大橋はいまよりもずっと長かった!? いまも昔も交通の要衝だった三条大橋 京阪三条駅、地下鉄東西線三条京阪駅と繁華街・河原町とを結ぶ三条大橋は、常に多くの人で賑わいを見せる。 この場所に本格的な橋が架けられたのは、天正18年(1590)のこと。豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めるに...2021.07.07日本史浮世絵図鑑
古地図京都古地図|豊臣秀吉が築いた幻の伏見城はどんな構造だった?遺構は? 伏見に存在する2つの「伏見城」 伏見の地には、伏見城址が2つ存在する。指月の丘一帯と、明治天皇陵がある木幡山地区だ。 最初に伏見に城を構えたのは、豊臣秀吉である。 もともと伏見は、古来、景勝地として貴族に親しまれてきたエリアだった。また、宇...2021.07.04古地図日本史
古地図京都古地図|平安時代の「右京」は人が住めるようなところではなかった!? 発展を遂げた左京、衰退を余儀なくされた右京 平安京の都は、北辺中央の大内裏から南に延びる朱雀大路を中心軸として、左右に条坊制に基づく市街地が形成された。朱雀大路の東側のエリアが左京、西側のエリアが右京である。 しかし、都市として発展を遂げて...2021.06.11古地図日本史
古地図京都古地図|古地図に引かれた黒くて太い線は豊臣秀吉が築いた御土居跡! 豊臣秀吉が京都を守るために築いた土塁 江戸期の京都の姿を描いた『京大絵図』を見ると、市街地を囲むように黒い線が引かれていることがわかる。この線は、「御土居」と呼ばれる土塁を地図上に記したものである。 御土居は市街地の防衛と、鴨川などの河川の...2021.05.17古地図日本史
戦国時代【早わかり戦国時代】戦国武将必須の教養!茶の湯を家中統制の道具として利用した織田信長 茶の湯は戦国武将必須の教養だった 日本における茶の湯の歴史は、平安時代末期、臨済宗の僧・栄西が宋から喫茶法を持ち帰ったことにはじまるという。ただしこの頃の茶は飲み物としてというよりも、「薬」として用いられていたようである。 その後、室町時代...2021.01.19戦国時代日本史
城郭高級住宅街・世田谷にはなんと中世の城跡がある!?「世田谷城阯」に登ってみた 世田谷吉良氏が築いた城 2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一らが開発した田園調布をはじめ、世田谷といえば「高級住宅街」をイメージする人は多いだろう。 そんな世田谷に、中世の城跡が存在することをご存じだろうか。世田谷区豪徳寺...2020.11.30城郭室町時代日本史