豊臣秀吉

古地図

京都古地図|平安時代の「右京」は人が住めるようなところではなかった!?

発展を遂げた左京、衰退を余儀なくされた右京  平安京の都は、北辺中央の大内裏から南に延びる朱雀大路を中心軸として、左右に条坊制に基づく市街地が形成された。朱雀大路の東側のエリアが左京、西側のエリアが右京である。  しかし、都市として発展を遂...
古地図

京都古地図|古地図に引かれた黒くて太い線は豊臣秀吉が築いた御土居跡!

豊臣秀吉が京都を守るために築いた土塁  江戸期の京都の姿を描いた『京大絵図』を見ると、市街地を囲むように黒い線が引かれていることがわかる。この線は、「御土居」と呼ばれる土塁を地図上に記したものである。  御土居は市街地の防衛と、鴨川などの河...
戦国時代

【早わかり戦国時代】戦国武将必須の教養!茶の湯を家中統制の道具として利用した織田信長

茶の湯は戦国武将必須の教養だった  日本における茶の湯の歴史は、平安時代末期、臨済宗の僧・栄西が宋から喫茶法を持ち帰ったことにはじまるという。ただしこの頃の茶は飲み物としてというよりも、「薬」として用いられていたようである。  その後、室町...
城郭

高級住宅街・世田谷にはなんと中世の城跡がある!?「世田谷城阯」に登ってみた

世田谷吉良氏が築いた城  2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一らが開発した田園調布をはじめ、世田谷といえば「高級住宅街」をイメージする人は多いだろう。  そんな世田谷に、中世の城跡が存在することをご存じだろうか。世田谷区豪...
日本史

よく「碁盤の目」といわれる京都の町割り、本当は碁盤目状ではない!

碁盤目状の平安京  延暦13年(794)に日本の都としてつくられた平安京は、中国の都・長安や洛陽をモデルとして大路・小路を碁盤目状に配した町割りがなされたことで知られる。これを「条坊制」じょうぼうせいという。  平安時代に成立した法典『延喜...