神宮にはかつて何があった?
賑やかな原宿エリアのなかでひときわ静寂に包まれる明治神宮は、大正9年(1920)に創建された。
祭神は明治天皇と昭憲皇太后。明治45年(1912)に崩御した明治天皇は京都の伏見桃山御陵に葬られたが、東京市民の強い要望により、東京に明治天皇を祀る神宮が建造されたのである。
大正時代に建造されたものであるから、もちろん古地図にその姿を見ることはできない。それでは、明治神宮の鎮座地は、江戸時代にはどのようになっていたのだろうか。
江戸時代初期、現在の明治神宮内苑にあたる場所には、肥後熊本藩初代藩主・加藤清正の下屋敷が置かれていた。
現在の明治神宮境内にも、清正が掘ったと伝わる「清正井」が残る。真偽は定かではないが、幾度かの修復を経て現在も湧き水をたたえている。
しかし寛永9年(1632)、2代忠広が改易されたことにより、江戸にあった藩邸も没収されてしまう。その後、熊本藩の下屋敷は彦根藩井伊家の下屋敷となり、幕末まで存続した。
『内藤新宿千駄ヶ谷辺図』(1849~62年刊)に見える「井伊掃部頭」と記された場所が、それである。
荒れ地に明治神宮が建造された理由
明治維新後、井伊家の下屋敷跡地は国が御料地(皇室の所有地)として買い上げた。
屋敷がなくなった当時、跡地の周辺は荒れ地が広がるばかりであったという。
それでは、なぜこの場所に明治神宮が建造されることになったのだろうか。
じつは明治天皇は生前、昭憲皇太后のために御料地に「石無しの庭園」をつくり、池に数百種に及ぶ菖蒲を植え、皇后の心を慰めた。そのようなゆかりのある土地であったことから、神宮の建造が決まった際に当地が選ばれたのであった。
神社の造営にあたっては、100年後の自然林化を見据えて大規模な植樹が行なわれた。現在の森はじつは人工的に生み出されたものなのである。当然、江戸時代にはそのようなものは存在しなかったことになる。
なお、神宮内苑に対して、神宮外苑は明治天皇の偉績を顕彰するため、大正15年(1926)に建設された。すべて国費で賄われた神宮内苑に対して、神宮外苑は国民の寄付金で建設された。外苑内の聖徳記念絵画館には、明治天皇を中心に成し遂げられた明治時代の輝かしい業績を描いた絵画が展示されている。
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