京都古地図|源義経と弁慶が出会ったのは現在の五条大橋ではない?どこで出会った!?
日本史
京都古地図|江戸時代の四条には橋がかかっていなかった!?
四条大橋は粗末な仮の橋だった 京都の町を南北に流れる鴨川には、いくつもの橋が架かっている。そのうち五条大橋、四条大橋、三条大橋は京都を代表する名橋だ。 これらの橋のなかで、とくに人の往来が激しいのが、京都を代表する繁華街・河原町と祇園を...
京都古地図|平安時代の「右京」は人が住めるようなところではなかった!?
発展を遂げた左京、衰退を余儀なくされた右京 平安京の都は、北辺中央の大内裏から南に延びる朱雀大路を中心軸として、左右に条坊制に基づく市街地が形成された。朱雀大路の東側のエリアが左京、西側のエリアが右京である。 しかし、都市として発展を遂...
江戸古地図|繁華街・新宿の素地が形成された江戸時代、賑わいの中心を担った内藤新宿
江戸の出入り口に位置した江戸四宿 江戸・日本橋を起点とする五街道には道中に宿駅が置かれた。東海道は53宿、中山道は59宿、日光道中は21宿、奥州道中は10宿、甲州道中は44宿である。 これらの宿駅は幕府の役人や参勤交代の大名など公用の旅...
京都古地図|京都御所の角が折れ曲がっている謎
角が欠けた「猿が辻」 古くから天皇の御在所であった京都御所は、今日では総面積約87万平方メートルという広大な公園・京都御苑のなかにたたずんでいる。 江戸時代、京都御所は幾度となく火災の憂き目にあい、焼失のたびに再建されてきた。現在見るこ...
京都古地図|古地図に引かれた黒くて太い線は豊臣秀吉が築いた御土居跡!
豊臣秀吉が京都を守るために築いた土塁 江戸期の京都の姿を描いた『京大絵図』を見ると、市街地を囲むように黒い線が引かれていることがわかる。この線は、「御土居」と呼ばれる土塁を地図上に記したものである。 御土居は市街地の防衛と、鴨川などの河...
江戸の古地図|もともと別の島だった佃島と石川島は江戸時代にひとつの島となった!
佃島と石川島の形成 現在、高層ビルが建ち並ぶ佃島・石川島一帯は江戸時代、隅田川の加工を埋め立てて形成された。 佃島は、徳川家康が江戸に入った際に家康と縁の深かった大坂佃島の漁民が移住したことにはじまる。このとき彼らが漁の安全と大漁を祈願...
【江戸の風俗】遊廓ってどんな場所?遊ぶためのルールは?江戸幕府公認の遊廓・吉原を早わかり!【庶民の憧れ】
3回通って馴染み客となる 江戸で唯一公認された遊廓・吉原は、江戸に住む男性にとっては憧れの場所だった。 しかし太夫など高級遊女と遊ぶには高額が必要で、また、厳格なルールを守らなければいけなかった。それを知るのに役立ったのが『吉原細見』と...
【早わかり戦国時代】戦国武将必須の教養!茶の湯を家中統制の道具として利用した織田信長
茶の湯は戦国武将必須の教養だった 日本における茶の湯の歴史は、平安時代末期、臨済宗の僧・栄西が宋から喫茶法を持ち帰ったことにはじまるという。ただしこの頃の茶は飲み物としてというよりも、「薬」として用いられていたようである。 その後、室町...
江戸の古地図|紀尾井坂・仙台坂・南部坂……江戸っ子はなぜ坂に名前をつけたのか
東京に坂が多いのはなぜ? 台地と低地上に形成された東京には、とにかく坂が多い。千代田区の九段坂や渋谷区の道玄坂など、名前のついた坂はじつに700以上もあるといわれる。 これらの坂のほとんどは、江戸時代以降に形成されたものだ。 徳川家康...