東京都足立区にある西新井大師は、神奈川県の川崎大師とともに厄除け・開運霊場として信仰を集める古刹です。しかし西があるのであれば、「東新井」もあるのではないかと思う方もいるでしょう。今回は、西新井はあるのに東新井はない理由について解説します。
西新井大師の歴史
東武大師線・大師前駅から徒歩5分のところに西新井大師は位置しています。正式名称は「五智山遍昭院総持寺」。西新井大師という名称は地名である「西新井」にちなんだ愛称ですが、江戸時代の古地図に「西荒井大師堂」という言葉が見えるように、すでに江戸のころからその名で親しまれていた様子がうかがえます。
西新井大師の創建は、天長3年(826)にまでさかのぼると伝わります。弘法大師空海によって開基されたといわれる真言宗の古刹です。
寺の縁起によると、空海が関東地方を旅していた際、疫病に苦しむ人々を救うために十一面観音菩薩像を彫り、21日間にわたって疫病よけの祈祷をおこなったところ、涸れた井戸から突然泉が湧き出したといいます。空海がその水を人々に分け与えたところ、たちどころに疫病が収まったのだとか。
この井戸がお堂の西側に位置していたことから「西新井」という地名が起こったと伝わり、総持寺も「西新井大師」と呼ばれるようになったということです。
なお、空海が奇跡を起こした井戸は「加持の井戸」としていまも現存しています。
「東新井」が存在しない理由
ここまで解説してきたように、西新井という地名の由来は「井戸」にあります。新井の西に位置することから西新井と呼ばれているのではないかと思っている方も多いのではないかと思いますが、じつはそうではないのです。
『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代には「西新井村」が成立していたようです。慶長18年(1613)に作成された総持寺『新義真言宗御前論議色衆座配図」に「西あら井」と記されているのが地名としての初見だと考えられています。
ただ江戸時代の古地図だと、大師堂に続く「西荒井大師薬師堂」は確認できますが、お寺の周辺に「西新井村」を確認できません。地名が記されていない空白箇所に存在していた可能性はありますが、はたしてどうでしょうか。
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