京都古地図|五山の送り火|古地図に描かれた「幻の火文字」とは?
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑩】魏の信陵君が合従軍を率いて秦軍を撃破。しかし秦の離間の策により、魏王に排除される【春秋戦国時代】
10年振りに魏へ帰国した信陵君 邯鄲の戦いで趙・楚・魏連合軍の前にまさかの敗北を喫した秦でしたが、その後も積極的な外征を行ない、前256年には東周を滅ぼしました。ここに、前11世紀以降、勃興した周王朝の歴史に幕が下りました。 一方、邯鄲...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑨】邯鄲を巡る戦いで3か国合従軍に敗れた秦【春秋戦国時代】
突然の趙との和議に激怒する白起 長平で趙軍を殲滅した白起は趙を滅亡させる好機であると判断し、趙の国都・邯鄲を目指して軍を進めました。 白起の進軍を前に、趙王はただ恐れおののくばかりでした。このままでは亡国への道を歩むのみ。そこで趙王は重...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑧】長平の戦いを制した秦の白起が趙兵40万を生き埋めにする【春秋戦国時代】
秦の流言飛語に騙された趙王 中原諸国を圧し続けていった秦でしたが、その中にあって一矢を報いたのが趙でした。前269年には、太(たい)行(こう)山(さん)脈(みゃく)の閼(あつ)与(よ)で繰り広げられた戦いで、趙将・趙(ちょう)奢(しょ)が...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑦】華陽の戦い|秦の将軍・白起が趙・韓軍15万を殺戮【春秋戦国時代】
魏領へ侵攻する秦軍 燕の楽毅が5か連合軍を率いて斉へ侵攻した際、じつは秦も燕の動きに呼応するように出兵し、斉の陰(いん)という都市を占領しました。しかし陰は秦領からは遠く、また、途中で魏領を通る必要もありました。 秦の昭王は秦領と陰を連...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑥】即墨の戦い|燕に領土を蹂躙された斉が一矢報いる【春秋戦国時代】
新王に疎んじられた楽毅 楽毅の侵攻の前に臨淄をおとされた斉の湣王は莒へと逃れて守りを固めましたが、宰相・淖(とう)歯(し)に裏切られて殺害されてしまいます。その後、斉では子の襄(じょう)王(おう)が即位しました。 楽毅は依然として斉領に...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり⑤】済水西の戦い|燕将・楽毅が斉の領土を蹂躙【春秋戦国時代】
斉への対抗策として5か国連合軍を結成 西方で秦が覇を唱えるなか、東方では斉が着実に地歩を固め、4代宣王の時代には魏を馬陵で撃破。三(さん)晋(しん)の地を平定しました。 宣王は次なる矛先を、北方の小国・燕へと向けます。 折しも、このと...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり④】6か国合従軍と秦が激突した函谷関の戦い【春秋戦国時代】
秦の台頭 馬陵の戦いで魏が斉相手に大敗北を喫したころ、西方では秦が着実に国力を高めていました。孝(こう)公(こう)の時代に登用された法(ほう)家(か)・商(しょう)鞅(おう)による富(ふ)国(こく)強(きょう)兵(へい)策が実を結び、一大...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり③】馬陵の戦い|斉の孫臏が魏将・龐涓を葬る【春秋戦国時代】
魏と対決する道を選択した韓 桂陵の戦いで孫臏の戦略の前に大敗を喫した魏は、その後、国力の回復に力を入れざるを得ませんでした。そうした雌(し)伏(ふく)の時は12年にも及びましたが、前341年、魏の恵王は再び外征を開始します。 次なる標的...
【『キングダム』時代の戦いを早わかり②】桂陵の戦いを通じて世にとどろいた斉の軍師・孫臏の名声【春秋戦国時代】
戦国の七雄の登場、いち早く台頭した魏 前403年、晋(しん)国が分裂して趙(ちょう)、韓(かん)、魏(ぎ)という3つの国が誕生すると、時代は列国が互いに覇(は)をかけて争う戦国の乱世へと突入しました。 弱小勢力が雄(ゆう)国(こく)によ...