花街・寺院の門前町として賑わいを見せた神楽坂
古きよき街並みをいまに伝える神楽坂は、観光スポットとして人気の高いエリアです。「究極のホットケーキ」を味わうことができる紅茶専門店・The tee Tokyoや、外堀沿いのイタリアンレストラン・カナルカフェなどのおしゃれなお店もずらり。ゆっくりと散歩を楽しむのには最適なスポットです。
その賑わいの歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。
元文~寛保年間(1736~44年)には、行願寺(1907年に品川区西五反田へ移転。現・寺内公園)の門前に岡場所(幕府非公認の遊郭)が置かれていたといい、常時、80人ほどの遊女がいたと見られています。
また、寛政5年(1793)、善國寺毘沙門天が門前の商店とともに麹町から神楽坂の現在地へ移転すると、その縁日目当てに多くの人が集まるようになりました。その賑わいは、山手一帯のなかでも随一だったと伝わります。
その後、神楽坂の岡場所は明治以降、花柳界として発展を遂げました。行願寺の境内などには芸妓屋や待合(客が芸者を呼んで遊ぶ場所)ができはじめ、明治20年代には料理屋、待合、芸者屋という三業地としての体裁を整えていきました。
こうして神楽坂は繁華街として栄えるようになり、いまにまで受け継がれていったのです。狭く入り組んだ石畳の路地を歩くと、往時の面影を感じることができるでしょう。
神楽坂の地名の由来は?
どことなく雅な雰囲気を感じることができる神楽坂という地名は、江戸時代から存在していたことが古地図から読み取ることができます。17世紀にはすでに地名としての神楽坂が成立していたといいます。
それでは、いったい神楽坂という地名がついたのでしょうか。
一説に、早稲田に鎮座する穴八幡宮の御旅所が神楽坂にあり、そこで江戸城に向かって神楽を奏していたためだといわれます。
一方、神楽坂上近くに鎮座する若宮八幡宮の境内で奏されていた神楽の音が坂にまで聞こえたことからその名がつけられたという説もあります。
このように神楽坂の由来には諸説あり、その起源についてははっきりとしていません。しかしいずれも神楽の音がルーツであるように、江戸時代にはこの坂で神楽を楽しむことができたのでしょう。
もっと江戸の古地図を知りたい人におすすめの書籍一覧
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『重ね地図でタイムスリップ 変貌する東京歴史マップ』古泉弘、岡村道雄ほか監修(宝島社)
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