江戸時代の牢屋敷はいったいどんな場所?語り継がれる美談とは?

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古地図
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人々から恐れられた土地

 東京メトロ日比谷線・小伝馬町駅から北へ2分ほど歩くと、(じっ)()公園へと至る。園内に保存されている時の鐘は、江戸時代、(こく)(ちょう)に置かれていたものである。高さは約1.7メートル、口径は約93センチメートル。江戸市中に置かれた時の鐘のなかでも最初に設置されたものである。

昭和5年(1930)、時の鐘は本石町から十思公園へ移された。

 園内は小さな子どもを連れた母親や、近隣で働くビジネスパーソンなどがのんびりとした時間を過ごす都会のオアシスとなっているが、じつはかつてこの地は人々から恐れられていた土地だった。

『日本橋北内神田両国浜町明細絵図』(1849~62年刊)を眺めると、その理由がわかる。じつはかつてこの地には、江戸で最大の牢屋敷・小伝馬町牢屋敷が置かれていたのである。

『日本橋北内神田両国浜町明細絵図』(部分)

小伝馬町牢屋敷とは?

 江戸時代、江戸市中には小伝馬町牢屋敷と本所牢屋敷が置かれていた。小伝馬町牢屋敷は町奉行支配下、本所牢屋敷は関東郡代支配下にあった。

 小伝馬町牢屋敷は敷地2677坪に及ぶ広大な規模を誇り、当時は周囲に堀が巡らされていた。収容される牢屋は身分や性別で分けられ、揚座敷は御目見え以上の旗本とそれに準ずる僧侶・神職、揚屋は御目見え以下の御家人と陪臣・僧侶・神職・医師、大牢は庶民、二間牢は無宿者が収容された。多いときで1000人近くもの罪人が拘留されていたと伝わる。

小伝馬町牢屋敷の俯瞰図(『新獄屋図』)

 もっとも現代の刑務所とは異なり、牢屋敷の役割は、刑の執行までの期間、罪人を拘束しておくことにあった。

 事件への関与を疑われて逮捕された容疑者は町奉行所で取り調べを受け、事実確認がなされたのち、小伝馬町牢屋敷に収容された。その後、吟味方与力の取り調べ、町奉行による審問が行なわれ、最終的に町奉行所の白洲で判決が申し渡された。江戸時代は現代のような懲役刑がなかったので、牢屋敷は刑が確定・執行されるまでの留置場のような機能を果たしていたのである。

ただし、斬首刑は牢屋敷内で行なわれたため、多くの罪人がこの地で最期を遂げた。死刑場の隣には御様場があり、そこでは死体を使って新しく打った将軍の刀の切れ味を試すといったことも行なわれていた。

牢屋奉行・石出帯刀とは?

 牢屋敷の管理を行なったのは牢屋奉行で、代々、石出帯刀と名乗った。牢屋奉行は町奉行の配下であり、知行は300俵。旗本のうち、大番士(将軍直轄の番方の一)クラスの身分に相当する。屋敷は牢屋敷内に置かれたため、古地図にも「囚獄」の横に「石出帯刀」と記されている。しかし罪人を扱うことから「不浄役人」と卑しめられることもあったという。

 一方、石出帯刀にはある美談が残されている。

 3代石出帯刀吉深の時代の明暦3年(1657)正月18日~20日にかけて、江戸の町を大火が襲った(明暦の大火)。これにより江戸城本丸をはじめ、市中のじつに6割以上が焼失し、10万人以上もの尊い命が犠牲となった。

『江戸火事図巻』より明暦の大火の様子。当時は類焼を防ぐために近隣の建物を壊す「破壊消防」がメインだった。

 このとき、火の手は小伝馬町牢屋敷にも及んだ。このままでは大勢の囚人が焼け死んでしまう。しかし、牢屋敷の鍵は町奉行所にあった。

そこで吉深は囚人らを救うため、独断で牢の格子を打ち破ると、囚人らを外に出してこう申し渡した。

「汝らを焼き殺すのは誠に不憫である。牢から解き放すゆえ、どこへでも逃げて命を落とすな。ただし火事が収まったら、一人残らず下谷の善慶寺へ来るように」(『むさしあぶみ』)

 このとき釈放された囚人は120余人と伝わるが、これに感謝をした囚人は鎮火後、一人を除いて約束通り善慶寺へ集まったという。

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