江戸時代

日本史

京都古絵図|鴨川に並行して高瀬川が掘削された理由|角倉了以・素庵父子の活躍

高瀬川の舟運に商機を見出した角倉了以  京都市街地を流れる高瀬川は、慶長18年(1613)に掘削された全長10キロメートル、水深30センチメートルほどの人工河川です。  二条大橋付近で鴨川の水を引き入れ、鴨川と並行するように南...
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日本のしきたり|江戸時代は主人を胴上げして厄払い!?大掃除の歴史に迫る【年中行事】

新年を迎えるための大切な行事・煤払い  現代では、12月31日の大晦日に大掃除を行ない、身辺を清らかにして新年を迎える家庭が一般的ですね。  しかし近世では、12月13日に煤払いと呼ばれる大掃除が行なわれました。  大掃...
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【江戸の風俗】遊廓ってどんな場所?遊ぶためのルールは?江戸幕府公認の遊廓・吉原を早わかり!【庶民の憧れ】

3回通って馴染み客となる  江戸で唯一公認された遊廓・吉原は、江戸に住む男性にとっては憧れの場所だった。  しかし太夫など高級遊女と遊ぶには高額が必要で、また、厳格なルールを守らなければいけなかった。それを知るのに役立ったのが...
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【早わかり忠臣蔵】赤穂浪士はどんな「辞世の句」を遺した?

討ち入り後の赤穂浪士  元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士は吉良邸へ討ち入って主君の仇・吉良上野介義央の首級を挙げ、見事本懐を遂げた。  その後、幕府は彼らの行動を「主人の仇討ち」とは認めず、「徒党」であると判断。公...
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【早わかり忠臣蔵】赤穂浪士討ち入りのルートを歩く

吉良、討ち取ったり  時は元禄15年(1702)12月14日深夜、元赤穂あこう藩の浪士たちは主君・浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのりの仇である高家こうけ・吉良上野介義央きらこうづけのすけよしなかの屋敷に討ち入り、見事討ち取った...
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