祇園祭の山鉾巡行のルートが江戸時代といまとで異なっていることをご存じでしょうか。この記事では、山鉾巡行のルートが変更された理由について解説します。
祇園祭の歴史や由来とは?
京都の夏の風物詩である祇園祭は八坂神社の例祭で、7月1日の吉符入りから31日の疫神社夏越祭までの1か月にわたってとりおこなわれます。なかでも17日の前祭と24日の後祭で絢爛豪華な山鉾が京の町を巡行する姿は圧巻であり、毎年山鉾巡行を見るために多くの観光客が京都を訪れます。
祇園祭の歴史は、平安中期、疫病退散を祈願しておこなわれた祇園御霊会にはじまります。貞観11年(869)、祇園社(現・八坂神社)の祭神・牛頭天王の祟りによって全国で疫病が流行しました。そこで同年6月、全国の国の数と同じ66本の鉾を立てて神を神泉苑へと送り、疫病鎮めの儀式をおこないました。これが祇園御霊会で、10世紀以降、年中行事として定着しました。
現在のような山鉾が見られるにようになったのは、南北朝時代以降のことです。
祇園祭の山鉾巡行のルートが変更された理由とは?
じつは江戸時代と現代とでは、山鉾巡行のルートが大きく異なっています。実際『都名所図会』の解説文には「7日の山鉾巡行は四条通から寺町を南行し、それから松原通を西行。14日の山鉾巡行は三条通を東行して寺町を南行、それから四条で西行」とあります。
しかし現在山鉾は四条通から河原町通へと東行し、そこから北行して御池通を西行するルートへと変更されているのです。
このように山鉾巡行のルートが変更されたのは、昭和に入ってからのことでした。昭和30年代、日本に車社会が到来すると、山鉾巡行は交通渋滞を引き起こす一因となりました。また、祇園祭の見物に訪れる観光客が増え続けていたこともあり、狭い幅員の道路では危ないという声が上がるようにもなります。
そこで山鉾巡行のルート変更が議題に上がるようになり、昭和31年(1956)には前祭のコースが松原通から御池通へと変更されました。そして昭和36年(1961)には、河原町通を巡行するようになったのです。
このとき、八坂神社側は神事である祇園祭の巡行ルートの変更に異議を申し立てたといいますが、当時の社会情勢に鑑み、やむなく同意をしたということです。
その後、昭和41年(1966)に前祭と後祭が統合されて山鉾巡行は7月17日の1日のみおこなわれるようになりましたが、平成26年(2014)に後祭が復活し、現在は古式に則って山鉾巡行は2回おこなわれています。
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