京都古絵図|石庭で有名な龍安寺、しかし江戸時代に名を馳せたのは池だった!

スポンサーリンク
日本史
スポンサーリンク

石庭よりも池にスポットライトを当てた名所図会

 室町幕府8代将軍・足利義政の時代、禅宗の思想が反映された東山文化が発達した。名称は、義政が建立した東山殿(慈照寺銀閣)にちなむ。

 東山文化を代表する庭園のひとつに、龍安寺の石庭がある。水墨画のような風景と禅の思想を砂利と石で表現したもので、その様式は枯山水と呼ばれる。

 一説に、寺を創建した細川家の氏神を祀る石清水八幡宮の鎮座地・男山の景色を取り入れたものだといわれる。

 現在、龍安寺を訪れる多くの観光客が目的とするのは、この石庭である。だが江戸時代は石庭よりも、鏡容池の景観のほうが人々の興味の対象だったことが『都名所図会』から読み取れる。

『都名所図会』に描かれた龍安寺

 鏡容池は東西120メートル、南北65メートル、広さ2万6000平方メートルの大きさを誇り、龍安寺が創建される以前の平安時代に築かれたものだと伝わる。平安貴族はこの池に龍頭の船を浮かべて歌舞音曲を楽しんだという。

 実際、『都名所図会』を見てみると、画面手前に鏡容池が描かれているのに対して、石庭は方丈の前に小さく描かれるのみである。

 図会によると、江戸時代の鏡容池はオシドリの名所として知られていたという。冬にオシドリが飛来する姿が風流であるとされ、江戸時代の随筆家・津村淙庵は「人気もなく静やかなれば、心落ち居て久しう眺めらる」と評している。

 なお、『都林泉名勝図会』(1799年刊)には「洛北名庭の第一」と称されているので、作庭時期はよくわかっていないが、少なくとも19世紀には広く知られていた様子がうかがえる。

『都林泉名勝図会』より龍安寺石庭。

石庭に秘められた謎

 石庭といえば、白い砂を敷き詰めた地表に15個の石が配されていることで知られる。

 一見無秩序に置かれているようにも思えるが、1か所からでは一度にすべての石を見渡すことができない配置となっている。これは、東洋思想で「15」という数字が「完全」を表わすことにちなんだものだという。

 つまり、完全ではない人間という存在にはすべての石を見ることはできないという主張が込められているのである。

 また、目には見えない石は心の目で見るようにとの意図が秘められているという指摘もある。

 しかしじつは、ただ1か所だけ15の石をすべて見渡すことができる場所があるのだという。

 平成14年(2002)にハルト・バン・トンダ氏ら3人の研究者がイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に寄稿した記事によると、現在の龍安寺が再建される前に本尊が置かれていた方丈からすべての石が見えるようになっていたという。完全な存在である仏の目には15の石をすべて見ることができるという意図を表わしたものだったのだろうか。

 とはいえ、いまだ石庭の作庭者すらわかってはおらず、真相は闇の中である。

京都の歴史をもっと知りたい方におすすめの書籍一覧

重ね地図でたどる京都1000年の歴史散歩』谷川彰英監修(宝島社)

半透明の特殊トレーシングペーパーを使用した重ね地図でたどる、大判の京都・歴史散歩書籍。トレペ仕様の現代地図と、通常用紙の古地図を透かして見比べると、京都1000年の歴史が浮き彫りに。「平安京・貴族邸コース」「平氏の栄華コース」「秀吉の御土居コース」「幕末の志士コース」など、23の歴史散歩コースを設定。さまざまな時代や切り口で、奥深い京都1000年の魅力をとことん味わうことができるビジュアル街歩きガイド。

地図で読み解く初耳秘話 京都のトリセツ』昭文社旅行ガイドブック編集部編(昭文社)

地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。京都の知っているようで知られていない意外な素顔に迫る。

地図で楽しむ! 京都の歴史さんぽ』梅林秀行監修(JTBパブリッシング)

読むだけでも楽しい史跡コメント入り地図帳が別冊付録。「歴史」と「地図」から、京都を楽しむためのテーマが満載。

京都の歴史を歩く』小林丈広、高木博志ほか著(岩波新書)

観光名所の賑わいの陰でひっそりと姿を消す町屋の風景。雅な宮廷文化、豪奢な桃山文化に彩られた「古都」のイメージが流布するなか、つのるのは違和感ばかり。これが、京都なのだろうか……。15のコースをめぐり、本当の京都に出合う小さな旅へ。かつて都に生きた人びとの暮らしと営みに思いをはせる。

地球の歩き方 京都 2023~2024』地球の歩き方編集室編(学研プラス)

1200年の歴史を誇る町「京都」全26市町村の見どころや美食、逸品、伝統文化などを地球の歩き方ならではの切り口で 徹底紹介。

タイトルとURLをコピーしました