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京都古地図|古地図に引かれた黒くて太い線は豊臣秀吉が築いた御土居跡!

豊臣秀吉が京都を守るために築いた土塁  江戸期の京都の姿を描いた『京大絵図』を見ると、市街地を囲むように黒い線が引かれていることがわかる。この線は、「御土居」と呼ばれる土塁を地図上に記したものである。  御土居は市街地の防衛と、鴨川などの河...
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江戸の古地図|もともと別の島だった佃島と石川島は江戸時代にひとつの島となった!

佃島と石川島の形成  現在、高層ビルが建ち並ぶ佃島・石川島一帯は江戸時代、隅田川の加工を埋め立てて形成された。  佃島は、徳川家康が江戸に入った際に家康と縁の深かった大坂佃島の漁民が移住したことにはじまる。このとき彼らが漁の安全と大漁を祈願...
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江戸の古地図|紀尾井坂・仙台坂・南部坂……江戸っ子はなぜ坂に名前をつけたのか

東京に坂が多いのはなぜ?  台地と低地上に形成された東京には、とにかく坂が多い。千代田区の九段坂や渋谷区の道玄坂など、名前のついた坂はじつに700以上もあるといわれる。  これらの坂のほとんどは、江戸時代以降に形成されたものだ。  徳川家康...
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【江戸のなぞなぞ①】江戸時代の地名クイズで遊ぶ

これは、江戸時代に制作された『無筆名所案内図』である。地名や人名、ものの名前を音が共通する絵に置き換え、それがいったい何を示すのかを当てる江戸時代のなぞなぞだ。一般に「判じ絵」と呼ばれる。  タイトルにつけられた「無筆」は「読み書きのできな...
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京都古地図|船岡山は京都の町の基準点だった!?

清少納言も褒め称えた景勝地  京都市の北部に、標高約112メートルの船岡山(ふなおかやま)はそびえる。その威容がまるで船のようであることから、または船を伏せた形に似ていることから、その名がついたといわれる。  現在、山頂は公園として整備され...
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江戸の古地図|本丸御殿ではなく、西の丸御殿が「皇居」となったワケ

いまに残る江戸城天守台  東京都心の中心に、天皇の御所・皇居はある。かつての江戸城西の丸があった場所に建てられたものだ。  江戸城は、長禄元年(1457)、太(おお)田(た)道(どう)灌(かん)が江戸湾に面した台地に築いた平山城に端を発する...
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京都古地図|京都には江戸時代と変わらぬ場所に建ち続ける公家屋敷がある!

明治維新後、荒廃を余儀なくされた京都  現在、京都御苑として整備されている東西約600メートル、南北約1200メートルの広大な敷地のなかには、京都御所以外の建物はほとんどない。 京都御所紫宸殿。  しかし『京大絵図(1686年刊)』を見ると...
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江戸の古地図|いまに受け継がれる江戸幕府公認遊廓・吉原の名残

旧吉原と新吉原  地下鉄日比谷線・三ノ輪駅を出て明治通りを抜け、土手通り沿いを歩くと、吉原大門交差点へ至る。この交差点の西・仲(なか)之(の)町(ちょう)通りは、江戸時代、幕府公認遊廓・吉原のメインストリートだった場所である。  吉原遊廓が...
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江戸の古地図|江戸幕府が隅田川に橋をかけなかった理由|橋がないことで起きた悲劇

橋をかけなかった幕府の思惑とは?  東京都の東部を流れる隅田川は奥秩父を水源とする荒川の分流で、北区の岩淵いわぶち水門から東京湾へ注ぐ延長約25キロメートルの川である。吾妻橋あづまばしから下流は大川、浅草川とも呼ばれた。現在の隅田川流域を歩...