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江戸の古地図|明治神宮の広大な森には江戸時代に何があった?

神宮にはかつて何があった?  賑やかな原宿エリアのなかでひときわ静寂に包まれる明治神宮は、大正9年(1920)に創建された。  祭神は明治天皇と昭憲皇太后。明治45年(1912)に崩御した明治天皇は京都の伏見桃山御陵に葬られたが、東京市民の...
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江戸の古地図|もともと寛永寺の参道だった上野広小路が盛り場として発展したのはなぜ?理由は

江戸の町を焼き尽した大火 「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるように、江戸では複数の町を焼く火事がじつに1000回近く発生した。とくに明暦3年(1657)の明暦の大火は、江戸の町の約6割を焼き尽くし、10万人を超える死者を出すほどの大惨事とな...
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京都古地図|五山の送り火|古地図に描かれた「幻の火文字」とは?

先祖を送る夏の風物詩・大文字焼き  京都のお盆行事は、8月7日から10日にかけて行なわれる「六道参り」にはじまる。  そこで各家々に迎えられた先祖の霊は、8月16日に行なわれる「五山の送り火」で再び浄土へと送られる。  東山・如意ヶ岳の「大...
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江戸の古地図|「番町」の町割はかつての旗本屋敷の名残!!

「番方」が住んだから「番町」!  高層ビルが建ち並ぶ東京にあって、なかなか江戸時代の名残を見つけることは難しい。だが、それでも注意深く観察すると、確かに当時の面影を感じられる場所もある。  たとえば、東京メトロ有楽町線・市ヶ谷駅から麹町駅に...
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江戸の古地図|「お台場」はアメリカ艦隊の侵攻に備えて築かれた防御施設だった!!

アメリカの来航に対し、江戸の防衛を固める幕府  時は幕末の嘉永6年(1853)6月、アメリカ使節ペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を要求した。これに対し、幕府側は対応に苦慮。12代将軍徳川家慶のもとで老中首座をつとめていた阿部正弘は国書をいっ...
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京都古地図|豊臣秀吉が築いた幻の伏見城はどんな構造だった?遺構は?

伏見に存在する2つの「伏見城」  伏見の地には、伏見城址が2つ存在する。指月の丘一帯と、明治天皇陵がある木幡山地区だ。  最初に伏見に城を構えたのは、豊臣秀吉である。  もともと伏見は、古来、景勝地として貴族に親しまれてきたエリアだった。ま...
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江戸の古地図|かつての日比谷は海の中!埋め立てで誕生した新たな町

埋め立てられた日比谷  慶長8年(1603)、江戸幕府を開いた徳川家康は、その翌年、江戸城の大増築工事に着手した。慶長10年(1605)、江戸城の第一次天下普請が開始される。  このとき、石材や木材などの輸送の荷受場となったのが、日比谷入江...
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京都古地図|江戸時代の四条には橋がかかっていなかった!?

四条大橋は粗末な仮の橋だった  京都の町を南北に流れる鴨川には、いくつもの橋が架かっている。そのうち五条大橋、四条大橋、三条大橋は京都を代表する名橋だ。  これらの橋のなかで、とくに人の往来が激しいのが、京都を代表する繁華街・河原町と祇園を...
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京都古地図|平安時代の「右京」は人が住めるようなところではなかった!?

発展を遂げた左京、衰退を余儀なくされた右京  平安京の都は、北辺中央の大内裏から南に延びる朱雀大路を中心軸として、左右に条坊制に基づく市街地が形成された。朱雀大路の東側のエリアが左京、西側のエリアが右京である。  しかし、都市として発展を遂...