角が欠けた「猿が辻」
古くから天皇の御在所であった京都御所は、今日では総面積約87万平方メートルという広大な公園・京都御苑のなかにたたずんでいる。
江戸時代、京都御所は幾度となく火災の憂き目にあい、焼失のたびに再建されてきた。現在見ることができる京都御所は、安政2年(1855)に造営されたものだ。
長い築地塀に囲まれた京都御所の周囲を歩くと、1か所だけ不自然な場所があることに気がつくだろう。北東の角、猿ヶ辻と呼ばれる場所だけ、なぜか内側に折れ曲がり、角が欠けているのだ。
しかも、そこには金網の中に身の丈一メートルほどの木彫りの猿が置かれている。
なぜこの部分だけ角が欠けているのか。この猿にはいったいどんな意味があるのだろうか。
邪気を防ぐ角の欠けと猿
じつはこれらは、鬼門から京都御所を守るという役割を担っている。
陰陽道において、鬼門は邪気が出入りする不吉な方角として忌み嫌われた。建物の中心から見て、北東の方角がそれにあたる。これを表鬼門という。一方、建物の中心から見て南西の方角も裏鬼門として、忌み嫌われた。
いまも家を建築する際、鬼門や裏鬼門を気にして、それらの方角に南天の木(難を転じるという意味を持つ)を植えたりするが、それは古代においても同じだった。
たとえば桓武天皇は平安京を造営する際、比叡山に延暦寺を設立し、都の鬼門除けとしている。また、徳川家康も、上野・寛永寺を江戸城の鬼門除けとしたのはよく知られるところだ。
江戸時代の京都御所の再建においても、やはり鬼門が大きな問題となった。そこであえて東北の角を切り取ることで、邪気が建物のなかに入り込まないようにしたのである。慶長18年(1613)に内裏の建て替えが行なわれたときには、すでにこの欠けが存在していたという。起源についてはよくわかっていない。
それに加え、近江国の日吉大社から遣わされた神猿を軒下に置いた。猿は古くから「難が去る」「勝る」ということから、魔除けなどのご利益があるとされてきた生き物であり、これによって京都御所の守りを万全としたのだ。
それにしても、なぜわざわざ神猿を金網で閉じ込める必要があったのだろうか。
その理由については諸説あり、夜な夜な抜け出しては通行人にいたずらをしたためとも、祇園に遊びに行くのを止めるためとも、故郷の日吉大社に帰りたがる神猿を当地に押しとどめるためだともいわれている。
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