田畑が広がるばかりだった江戸時代の池袋
新宿・渋谷とならぶ東京副都心として栄える池袋エリア。JR山手線や東京メトロ、東武東上線、西武池袋線のターミナル駅・池袋駅を中心に百貨店や専門店、飲食店などが集中し、一大繁華街が形成されています。
しかし、新宿が内藤新宿という宿場町を、渋谷が大名屋敷を発展の素地とするなど、江戸時代以来の伝統を持つのに対して、当時の池袋は人口がまばらな寒村に過ぎませんでした。『分間江戸大絵図』を見ても、当時の池袋村周辺には田や畑が広がるばかりであった様子をうかがうことができます。
池袋という地名も、盆地上の一帯に沼や池が点在していたことから起こったと伝わります。
国鉄池袋駅の開業が池袋発展のきっかけを生む
明治時代になっても、池袋は周辺の開発からは取り残されました。名前の由来のように、沼や池が多数存在していた池袋は水利の整備がなされておらず、なかなか開発の手が伸びなかったのです。
そのような状況下、地元の人々が発展を願って招致したのが、なんと監獄でした。そして明治28年(1895)、巣鴨村字池袋に、巣鴨監獄が完成しました。なお、巣鴨監獄は大正12年(1923)9月の関東大震災で大破。刑務所は新たに現在の東京都府中市に建てられることになりました。跡地には東京拘置所がつくられましたが、昭和46年(1971)に栃木県大田原市に移転。その跡に開業したのが、サンシャインシティです。
池袋に発展の兆しが見え始めたのは、明治36年(1903)に国鉄池袋駅ができて以降のことでした。もともとは目白に設置される計画で進められていたものの、付近の住民の反対運動が起こったことから池袋に白羽の矢が立てられることになったのです。池袋にとっては、まさに僥倖とも呼ぶべき出来事でした。
こうして駅が開業すると、明治42年(1909)には駅の西口に豊島師範学校(現・東京学芸大学。昭和21年に小金井へ移転)が、明治44年(1911)にはその付属小学校が設置されました。
さらに大正時代に入ると、大正3年(1914)に東武鉄道東上線、大正4年(1915)に武蔵野鉄道(現・西武鉄道)が乗り入れ、池袋の市街化を牽引します。
第2次世界大戦後には、池袋駅周辺にヤミ市が誕生し、大いに賑わいを見せました。そのヤミ市がやがて本格的な店舗へと変貌を遂げるようになり、大規模な商業地が形成されるに至ったのです。そして昭和33年(1958)、首都圏整備計画により、池袋は新宿・渋谷とともに副都心と定められたのでした。
開業当初は1日わずか40人ほどの利用にとどまった池袋駅も、現在ではJRだけで1日約55万人が利用するまでに発展を遂げています。
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