京都・伏見に残る城下町の痕跡を歩く|京都歴史散歩

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日本史

16世紀、豊臣秀吉は伏見に「指月伏見城」「木幡山伏見城」の2つの城を築きました。

指月伏見城は慶長元年(1596)閏7月12日に起きた大地震で倒壊してしまいましたが、秀吉はただちに木幡山を城地として選び、より強固な城郭と城下町をつくりあげました。

このとき、城の周辺には大名の上屋敷が、その西には町屋が、さらにその西、外堀沿いに大名の下屋敷が配されました。

秀吉の没後、伏見城の城主は徳川家康に代わり、元和9年(1623)、廃城となります。伏見は幕府の直轄領とされ、政治機能を失った伏見の町からは、大名屋敷も姿を消しました。

その後、城跡一帯は桃畑として整備されました。そしていつしか、城跡は「桃山」と呼び習わされるようになります。

伏見城は別名・桃山城とも呼ばれますが、じつは秀吉の時代にはそのような呼称は存在していませんでした。

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伏見に残る城下町の名残を歩く

現在の伏見の町を歩くと、ところどころでかつての城下町の名残を感じられます。

たとえば、桃山丘陵に残されている桃山福島太夫北・西・南町や桃山毛利長門西・東町、桃山町島津、景勝町などの地名が挙げられます。

これらの地名は、伏見城の城下町に建ち並んでいた大名屋敷に由来するものです。

桃山福島太夫は、秀吉側近の武将であり、秀吉の死後は家康に従って安芸国の大名となった福島正則の屋敷があった場所です。

桃山毛利長門は秀吉の嫡男・秀頼に近侍として仕えたのち、長門萩藩初代藩主となった毛利秀就、桃山町島津は九州のほぼすべてを統一したのち、秀吉に降った島津義久、義弘、家久の上屋敷の跡地です。

景勝町には、豊臣政権期に五大老の一人に数えられた上杉景勝の下屋敷がありました。

また、地名以外にも城下町の痕跡はあります。

現在の地図で伏見の町を眺めると約120メートル四方の区画があることが見て取れますが、これもかつての大名屋敷地区の名残です。

さらに伏見城の鬼門除けとして伏見城下に勧請された御香宮神社には、伏見城大手門の遺構と目されている表門(重要文化財)や車寄せなどが保存されており、かつての伏見城の歴史をいまに伝えています。

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