天照大御神に初穂を捧げる神事
10月16日と17日にその年の初穂を皇祖神・天照大御神にお供えする神事が伊勢神宮で営まれます。これを「神嘗祭」といいます。
『倭姫命世記』によると、1羽の真名鶴が1本の稲穂を皇大神宮に捧げた姿を見た倭姫命は天照大御神が伊勢神宮に鎮座したことを悟り、初穂を皇大神宮にお供えしました。これが神嘗祭のはじまりであると伝わります。その歴史は養老5年(721)ごろにまでさかのぼるといい、現在まで受け継がれてきました。
現在、神嘗祭は10月15日午後10時、外宮への由貴大御饌の奉献からはじまります。由貴大御饌とは新穀で調理されたご飯、神酒を中心とする神聖な食事のことです。
外宮で祭りがおこなわれたのち、内宮でも同様の祭りがおこなわれます。そして両正宮に続いて10月25日まで、別宮や摂末社にいたるまですべての社で神嘗祭が営まれます。
伊勢神宮では神嘗祭のために稲作を実施
伊勢神宮では神嘗祭のために実際に稲作をおこなっており、それに伴ってさまざまな付属祭が営まれます。
4月には種籾をまく神田下種祭、5月上旬には御田植初、9月初旬には抜穂祭がおこなわれ、稲刈りをします。こうして収穫された稲穂は御稲御倉に保管され、これを忌火屋殿で調理して神饌としてお供えするのです。
この一連の流れから、稲作そのものが神事であることがわかります。
古来、日本人は食べ物を神々からの恵みと捉え、神の加護があって初めて豊作がもたらされると考えてきました。そのため、豊穣の感謝をいち早く神に捧げるために、このような神事の形式が整えられたのだと考えることもできるでしょう。
神嘗祭と新嘗祭との違い
伊勢神宮で収穫祭として神嘗祭がおこなわれるのに対して、宮中では11月23日に天皇陛下がその年の新穀を神にお供えする新嘗祭がとりおこなわれます。
新嘗とは、「新饗(新稲をもって饗する)」のこと。つまり、新穀を神々に供え、おもてなしをするという意味です。
新嘗祭の起源は、皇祖神・天照大御神が地上に降臨する皇孫に斎庭の稲穂を授けたことにあります。神々が住まう高天原で育てられていた稲穂が皇孫によって初めて地上(葦原中ツ国)にもたらされたことで、我が国における農業がはじまりました。
新嘗祭はこの恩恵に対し、皇孫にあたる天皇陛下自らが五穀豊穣を神々に奉告するお祭りなのです。全国の神社でも新嘗祭がおこなわれ、国をあげての収穫祭となっています。
新嘗祭の当日の様子
新嘗祭は古くは旧暦11月の下の卯の日におこなわれていましたが、現在は11月23日、宮中の神嘉殿でとりおこなわれます。実際の収穫よりも1か月近く遅く営まれるのは、新嘗祭を前に忌み籠りし、心身を祓い清めるためだと考えられています。
当日の午後、神嘉殿にはまず神座が設けられます。天皇陛下は夕刻に出御され、御座につかれたのち、古来のしきたり通りに神饌を神前に盛りつけられ、お供えをされます。
神饌はご飯、おかゆ、粟ご飯、粟おかゆ、白酒、黒酒、タイ、イカ、アワビ、サケの鮮物、タイ・カツオ・アワビ・アジの干物、干し柿、かち栗、生栗、干しなつめ、アワビの煮つけ、海藻の煮つけ、アワビのお吸い物、ミルのお吸い物です。
お供えを終えると、お告げ文を奏上され、直会(神人共食)がおこなわれます。これを夕の儀といいます。
午後11時からは同じ内容で暁の儀がおこなわれ、これは24日午前1時過ぎにまでおよぶといわれています。
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