京の台所・錦市場の近くに鎮座する錦天満宮といえば、鳥居がビルの壁で突き刺さっていることで知られますが、いったいいつからそのようになっているのでしょうか。この記事では、錦天満宮の鳥居の謎に迫ります。
江戸時代の錦天満宮の境内は広大だった
京都を訪れた観光客が必ずといってもいいほど足を運ぶ繁華街が新京極です。新京極一帯には寺院が多く建ち並んでいますが、そのなかにあって、唯一存在する神社が、学問の神様・菅原道真公をお祀りする錦天満宮です。
錦天満宮は、新京極通と寺町通の間を走る錦小路の東端、新京極商店街に面して鎮座しています。初めて錦天満宮を訪れた方であれば、巨大な鳥居がビルの壁に突き刺さっている様子を見て驚きの声を上げてしまうこと請け合いです。
江戸時代の京都の名所を描いた『都名所図会』を紐解くと、当時は鳥居の周囲に何もなかったことがわかります。また、現代とは違ってじつに広大な社域を誇っていた様子がうかがえます。多くの参拝客が訪れている様子もわかりますね。いまも昔も、錦天満宮が庶民から崇敬を集めていたことに変わりはありません。
それでは、いったいいつから鳥居はそのようになっているのでしょうか。
鳥居がビルの壁に取り込まれたのは昭和に入ってから
錦天満宮の周辺の景観が一変したのは、明治5年(1872)のことでした。明治初年の神仏分離令に伴って寺町界隈に空き地が生じていたことに目をつけた当時の京都府参事・槇村正直は、幕末の蛤御門の変と東京奠都によって荒廃を余儀なくされていた京都の復興を計画。寺町界隈の寺院の境内地を接収して再開発に着手し、寺町通と並行して一筋の通りを新設しました。これが、新京極通です。
この再開発によって錦天満宮の境内地も接収されてしまい、鳥居の周囲にもさまざまなお店が建ち並ぶようになりました。錦天満宮によると、このとき鳥居上部の笠木の長さを考慮せずに柱と柱の幅に合わせて道がつくられてしまったということです。
ただし、当時は鳥居よりも高い建物は建てられなかったため、とくに問題は生じませんでした。昭和10年(1935)に鳥居の再建の話が持ち上がった際にも周囲に高い建物は存在していなかったので、元の大きさのまま建て替えられました。
しかし新京極通の発展に伴い、通り沿いに建ち並ぶ商店の高層化が進展していきます。その流れのなかで錦小路沿いの建物も高いビルへと建て替えられる運びとなりました。
その際、当然ながら鳥居の処遇が問題視されます。鳥居上部の笠木の幅に合わせると、計画通りの建物が建てられません。しかし鳥居は俗域と聖域とを隔てる神聖な建造物であり、壊したり、撤去したりすることもはばかられました。
そこで苦肉の策として選択されたのが、鳥居の笠木にぶつかる部分のみ建物の壁を切り抜く手法だったのです。
こうして世にも珍しい鳥居が誕生しました。テレビなどでも盛んに取り上げられていることもあり、いまやすっかり新京極の名物スポットとなっています。
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