貿易を通じて拡散されたウイルス
現在、世界各国でコロナウイルスが猛威を振るっているが、中世にも人々を絶望の底へと突き落とす病魔が蔓延した。ペスト(黒死病)である。フランスの作家・アルベール・カミュの『ペスト』が世界的ベストセラーとなったことでも記憶に新しい。
ペストは細菌によって引き起こされる感染病のこと。当時のペストは「腺ペスト」に分類され、ネズミを介して発生したと考えられている。
ペストの発祥地は、中国にあるといわれる。それが1340年代に貿易を通じてクリミア半島からイタリアへ運ばれ、瞬く間にヨーロッパ全域へと拡散した。
当時は現在のように医療体制が整っていなかったため、ペストにかかるとほぼ100パーセントの確率で死にいたった。そのため人々は病気の拡散を防ぐべく、病人を家に閉じ込めたり、さらには患者の家を焼き払ったりした。なかには町ごと焼き払うこともあったという。
また、1377年にはペストが持ち込まれるのを防ぐため、イタリアのベニスで海上検疫がはじめられた。これが、現在の検疫のルーツである。当初、検疫期間は30日だったが、のち40日へと延長された。40はイタリア語でquarantenaという。検疫を英語でquarantineと呼ぶのは、これに由来する。
しかし、それでもペストの猛威はとどまるところを知らず、西ヨーロッパの人口の約4割が死亡したと伝えられる。イギリスやフランスにいたっては、半数以上の人々が犠牲となったという。
ペストの流行が農奴解放の動きを生む
ただし、ペストで大きな被害を被ったのは農民など下層階級の人々だった。貴族や領主など資産を保有していた人々はペストの流行していない田舎へと逃げることができたためである。当時の情景については、イタリアの作家ジョバンニ・ボッカチオの代表作『デカメロン』に詳しい。
だがペストの流行により、領主も大打撃を受けることとなる。農地を耕す働き手である農民人口が減少してしまったためだ。農地を耕す者がいなくなったら、当然、収入は減る。そこで領主は、生き残った農民への税や労働負担を強化した。これを「封建反動」という。
当然、農民らの反発を招いたことは想像にかたくない。こうしてフランスではジャックリーの乱(1358年)が、イギリスではワットタイラーの乱(1381年)が勃発することになるのである。
これらの反乱はいずれもわずか1か月ほどで鎮圧されるが、これらの事件を契機として農民の自立化が促され、農奴解放が進んでいくこととなる。とくにこの動きはイギリスが顕著で、「ヨーマン」と呼ばれる独立自営農民が誕生した。