戦いの主役は戦車から歩兵へ
殷周時代から春秋時代にかけて、戦いの主役を担ったのは「戦車」でした。戦車といっても、現代のようなタンクではありません。3人乗ることができる箱に車輪をつけ、それを馬にひかせたのです。
軍の隊列は戦車を中心に編成され、ひとつの戦車に5伍(1伍は5人。つまり25人)の歩兵部隊が従属しました。このユニットを「両」といいます。
戦いは、広い原野で行なわれるのが一般的でした。敵対するふたつの国の軍隊がそれぞれに陣を張り、戦車戦を展開したのです。森林や丘陵などがあっては戦車を自由に走らせることはできませんからね。
また、この時代の特徴として、戦争に参加できる者が支配階層に属する国人に限られていたという点が挙げられます。まだ農民は正式な兵士としては認められていなかったのですね。そのため、一度の戦争に動員された戦力はそれほど多いものではありませんでした。
たとえば周の武王が殷の紂王を撃ち破った牧野の戦い(前1046年ごろ)において、武王は戦車300台、虎賁(決死の兵士)3000人、甲士(鎧をつけた兵士)4万5000人という戦力を投入しています。
戦国時代代(前403-前221年)に入ると、戦いの形態に大きな変化が見られるようになります。広い原野に限らず、丘陵や山林といった高所までもが戦場となったため、機動力に優れた戦車の優位性が失われたためです。そこで歩兵が主力となり、独立した部隊が編成されるようになったのでした。
また、戦争の回数が増加し、敵の城を完全に陥落させることが攻撃の最大目標となったため、戦争に参加する兵士の数が急増。国人だけでは賄いきることができなくなったことから、一般農民から兵士を徴収して戦いに動員するようにもなりました。
前4世紀に趙の武霊王が北方の遊牧民族から「胡服騎射(遊牧民族の服装と馬上で弓を射る騎兵術)」を取り入れると、圧倒的な機動力を持つ騎兵と歩兵を組み合わせた戦術が一般的となります。戦国時代末期の各国の兵力を見ると、秦・趙・楚が歩兵100万、戦車1000乗、騎兵1万、斉・魏・燕が歩兵70万、戦車600乗、騎兵5000、韓が歩兵30万だったといいます。
武器にも大きな変化が
一方、武器にも大きな変化が見られるようになります。春秋戦国時代において、もっとも重要な武器だったのは弓でした。前5世紀には、すでに青銅製の鏃が使われていたといいます。
しかし人力で使う弓は、習熟度によって優劣の差がはっきりと出ました。そこで、弓を改造してつくられたのが、弩です。機械仕掛けとなっているため、誰でも強力な矢を放つことができました。
前341年の馬陵の戦いにおいて、斉の軍師・孫臏が弩兵を活用し、魏軍を殲滅したという記録も残ります。また、始皇帝陵からも多数の弩が発掘されています。
しかし弩は重く、矢を装填するのにも強い力が必要であり、速射性に欠けるという欠点がありました。
白兵戦においては、矛と呼ばれる長さ2メートルほどの長柄武器や、剣が使用されました。殷代にはすでに青銅製の刃が用いられていましたが、やがて鉄でつくられるようになり、その攻撃力は時代を経るにつれて高まっていきました。
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