慶応4年(1868)5月15日、現在の上野公園一帯で新政府軍と彰義隊との一戦が繰り広げられました(上野戦争)。上野公園周辺を歩くと、当時の痕跡を見つけることができます。今回は、上野戦争の痕跡を古地図を使って辿っていきます。
上野戦争の概要
慶応3年(1867)10月14日、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜は朝廷に政権を返上しました(大政奉還)。このとき、慶喜には新政権の首班となる思惑があったといいますが、その直後に天皇中心の国家を建設するという王政復古の大号令が発せられ、慶喜のもくろみはもろくも覆されました。
ここにいたり、慶喜は新政府との戦いを決意しますが、鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍はその後も劣勢を強いられ、慶応4年(1868)4月11日には江戸城が新政府軍に明け渡されました。
こうして江戸市中に新政府軍が駐屯するようになると、これに不満を持った旧幕臣らは彰義隊を結成。上野山に立てこもり、新政府軍に抵抗しました。
①三橋跡
慶応4年(1868)5月15日早朝、彰義隊と新政府軍は戦闘を開始しました。当初、上野山にこもった彰義隊士は約3,000人いたと伝わりますが、新政府軍の砲撃を前に逃亡者が続出。実戦に参加したのはわずか1,000人ほどだったといいます。
攻め寄せてくる新政府軍に対して、彰義隊が防衛ラインとしたのが三橋(現・上野4丁目付近)でした。三橋は、不忍池から流れる忍川に3つの板橋が架けられていたことにちなみます。
しかし近代的な装備を擁する新政府軍の前に、彰義隊は徐々に後退を余儀なくされました。
②黒門跡
やがて戦線は黒門へと移ります。黒門は東叡山寛永寺の総門で、寛永2年(1625)に建立されました。当時は現在の上野公園正面入り口あたりにありました。
黒門では、薩摩藩兵と彰義隊士が激しい銃撃戦を繰り広げます。黒門にも新政府軍の砲火が集中しましたが、なんとか焼失は免れ、現在は荒川区の円通寺に保存されています。黒門をよく見ると砲弾跡がうかがわれ、かつての戦火の記憶をいまに伝えています。
③旧寛永寺
劣勢を強いられた彰義隊は徐々に戦線を後退し、ついには寛永寺の本堂にこもります。
上野戦争の趨勢を決めたのは、本郷台に据えられた佐賀藩のアームストロング砲でした。本郷台は現在の東京大学本郷キャンパス一帯にあたり、当時は加賀藩上屋敷でした。
この場所にアームストロング砲2門と臼砲6門などが設置され、山王台・五重塔方面への砲撃が開始されました。
アームストロング砲は命中率こそ低かったものの、その砲声は彰義隊士を大きく動揺させました。
こうして激しい戦闘が繰り広げられるなか、彰義隊は壊滅。戦後、上野山にはおびただしいまでの死体が積み重ねられたと伝わります。
また、上野戦争の砲火により、上野山内のほとんどが焦土と化しました。寛永寺ももともとは現在の東京国立博物館の場所に本堂がありましたが、焼失。当時の面影を残すのは、東京国立博物館から上野駅方面に少し歩いた場所にある輪王寺両大師堂の脇に残された山門くらいです。
山門をよく見ると、そこには大小の銃弾跡や砲弾跡が残っています。
④彰義隊士の墓
戦後、250余におよぶ彰義隊士の死体はそのまま放置されましたが、その様子を見かねた円通寺の僧・仏磨が荼毘に付し、遺骨を円通寺に埋葬しました。遺灰はその場に埋葬されたと伝わります。
当時、彰義隊士の墓を上野公園内につくることは許されませんでしたが、明治7年(1874)10月に許可が下りると、明治14年(1881)には「戦死之墓」と刻まれた墓碑が建立されました。元幕臣・山岡鉄舟の筆によるものです。
墓碑の手前に置かれた小さな自然石の墓は、明治14年の工事の最中に土中から掘り起こされたもので、明治2年(1869)に当時上野山にあった護国院と寒松院の住職が建立したものだと伝わります。
なお、彰義隊士の墓は山王台広場に立つ西郷隆盛像の裏手にあります。新政府発足時は要職に名を連ねた西郷隆盛でしたが、西南戦争によって朝敵と扱われました。新政府に刃向かった彰義隊の墓と西郷隆盛の銅像が近くに存在するのは、歴史の皮肉といわざるを得ません。
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