魏領へ侵攻する秦軍
燕の楽毅が5か連合軍を率いて斉へ侵攻した際、じつは秦も燕の動きに呼応するように出兵し、斉の陰という都市を占領しました。しかし陰は秦領からは遠く、また、途中で魏領を通る必要もありました。
秦の昭王は秦領と陰を連結すべく、前283年、魏の国都・大梁に向けて兵を送り込みます。ですが、燕・趙軍が援軍としてやってきたため、このときは退却せざるを得ませんでした。
この趙の行動に激怒した昭王は、前282年、韓と魏を脅して無理やり同盟を締結すると、趙への侵攻を開始。趙の都市・藺と祁を落としました。さらにその翌年には離石をも征圧しました。
一方この頃、南方の楚が東方への進出を開始し、徐々にその勢力を拡大しつつありました。そこで昭王は、前279年、澠池で趙と和約を結んで後顧の憂いを断つと、前278年、楚の国都・郢を攻略。その出鼻をくじきました。
こうして北方、南方と憂いを取り除いた昭王は、再び魏への侵攻を開始。前276年に魏の2つの都市を落とすと、前275年にも2つの都市を占領しました。
秦軍がいよいよ大梁にまで迫ったとき、韓の将・暴鳶が援軍を率いてやってきましたが、秦軍はこれをあっさりと撃破。秦にはかなわないと悟った魏王は、温を割譲することを条件として、和睦を願い出たのでした。
猛将・白起が圧倒的な力を見せつける
それまで韓と魏は協働して秦に抵抗してきましたが、秦の猛威の前に、韓王は魏との関係を断絶。秦に帰属するという道を選択しました。
韓の背信行為を許すことができなかった魏王は、趙に援軍を求めると、前273年、協働して韓の華陽へと攻め入りました。
韓軍だけでは、2国の猛攻を退けることはできません。そこで韓王はすぐさま秦の宰相・魏冄のもとへ使者を遣り、救援を要請しました。秦はこれに応え、将軍・白起、客卿・胡傷の2将を戦地へと派遣しました。
一般に華陽の戦いといわれるこの合戦は、秦軍の圧勝に終わりました。とくに白起の猛攻はすさまじく、魏軍、趙軍合わせて13万もの兵士の首を取ったと伝わります。さらには、趙兵2万を河中に沈めました。
恐怖におののいた魏王は南陽の地を献上するという条件で、秦に和睦を請いました。
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