相撲をとったのは豊凶を占うため
神社のなかには、なぜか境内に土俵が設置されているところがあります。お参りしたときに「どうしてこんなところにあるの?」と疑問に感じた人も少なくはないでしょう。
これは、もともと相撲が神事として行なわれていたためです。
日本の国技としての相撲の歴史は古く、垂仁天皇7年(前23年)7月7日、当麻蹴速と野見宿禰という人物が力競べをしたことにさかのぼると伝わります。この勝負に勝利した野見宿禰は相撲の祖神として崇められています。
やがて弥生時代頃になると、相撲は農耕儀礼のひとつとして発展しました。五穀豊穣を占うための道具として、相撲が執り行なわれたのです。これを「神事相撲」といいます。奈良時代に入ると天皇家の年中行事のひとつとなり、平安時代には五穀豊穣を占う国家行事(相撲節会)となりました。
現在も、全国各地の神社ではその伝統が受け継がれています。
たとえば大山祇神社(愛媛県今治市)では、御田植祭・抜穂祭のときに「一人相撲」が行なわれます。目には見えない稲の神を相手に相撲をとり、その勝敗で一年の豊凶を占う神事です。
また、水谷神社(兵庫県養父市)では、秋祭りのときに「ネッテイ相撲」が行なわれます。向かい合った二人の力士が高く足踏みを続けたのち、肩を抱き合って飛び跳ねるという神事です。元の位置に戻れるかどうかで豊凶を占います。平安時代から朝廷儀式として行なわれていたものであると伝わります。
奈良豆比古神社(奈良県奈良市)でも、神主から榊を授かった二人の力士が「ホーオイ、ホーオイ」という掛け声に合わせ、榊を上下させながら拝殿の周りを歩く神事相撲が行なわれます。
現在の大相撲に神事相撲の名残りを見出す
神事相撲の名残りは、現代の大相撲にもしっかりと見ることができます。
たとえば「四股を踏む」「土俵に塩をまく」という動作は、地霊を鎮め、邪気を祓い清めるという神事の儀式にちなむものです。なお、もともと四股は「醜(悪霊、邪気のこと)」と書きました。その名の通り、「醜を踏んで祓う」ということですね。力士の名前も地中の邪気を祓う人ということで「醜名」と呼び、それが転じて「四股名」となったといいます。
四股名には、しばしば出身地の山や海など自然にちなんだ文字が使われます。「〇〇山」「〇〇海」などです。これも、自然とともに生き、神に豊穣を願った古代の信仰が反映されていると見ることができるでしょう。
また、場所前には「土俵祭り」と呼ばれる神事が行なわれます。行事が祝詞を奏上して土俵に神酒をまき、土俵の中央に鎮め物を埋めて場所中の安全を祈願するものです。
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『神社の解剖図鑑』米澤貴紀(エクスナレッジ)
鳥居、社殿、門・塀・垣、狛犬、神紋などのカタチの意味から、『古事記』『日本書紀』にまでさかのぼる神様と、そのご利益まで、日本各地の神社の見かたを完全図解。
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本書は神使として祀られている54種類の動物の由来やご利益、動物を大切に崇めている日本全国約162の神社を紹介しています。
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