住みたい街ランキングで毎年上位にランクインされる吉祥寺の地名は、その名のとおり、お寺の吉祥寺に由来します。しかし、現在の吉祥寺を歩いても、そのお寺は見つけられません。いったいどこにあるのか。答えは古地図を見れば一目瞭然です。
地名の由来となった吉祥寺はどこにある?
JR中央線や京王井の頭線のターミナル駅、吉祥寺駅前には商業施設が林立し、日々賑わいを見せています。また、少し歩けば閑静な住宅街が広がっており、毎年公表される住みたい街ランキングでも上位にランクインするほどの人気を誇るエリアです。
吉祥寺という地名は、その名のごとく「吉祥寺」という寺院に由来します。ところが、現在の吉祥寺駅周辺を歩いても、そのお寺にたどり着くことはできません。
もしや廃寺となってしまい、開発されてなくなったのではないかと思われる方もいるかもしれませんが、もともとそのような寺院は吉祥寺には存在しないのです。
それでは、いったいどこに吉祥寺はあるのでしょうか。
吉祥寺は文京区本駒込に存在!
じつは、吉祥寺は現在の吉祥寺からは遠く離れた文京区本駒込に鎮座しています。なぜ本駒込にある寺院が吉祥寺の地名由来となったのでしょうか。
そもそも江戸の街に吉祥寺が築かれたのは、15世紀半ばのことだと伝わります。築城の名手として知られる太田道灌が江戸城を築く際に井戸から「吉祥」と刻まれた金印を掘り当て、これを瑞祥であると感じた道灌は金印を祀る祠を江戸城内に建てました。これが、吉祥寺のはじまりです。現在の和田倉御門あたりにあったといわれています。
その後、徳川家康が江戸に入り、江戸城の拡張に乗り出した際、吉祥寺は神田駿河台の水道橋に移転させられました。当時の寺域はなんと2万坪もあったといい、現在の水道橋あたりに表門があったと伝わります。
ところが、明暦3年(1657)に発生した明暦の大火によって吉祥寺は全焼してしまいます。そしてかつての寺域は幕府によって火除地に指定されたことから、吉祥寺は駒込への移転を余儀なくされました。
その威容は、古地図にもしっかりと描かれています。当時、境内に置かれた学寮・旃檀林では1,000人ほどの学僧が学び、門前町には彼らを当て込んだ書店が建ち並んだそうです。吉祥寺は現在も駒込に健在。享和2年(1802)に再建された山門が、往事の記憶をいまに伝えています。
一方、吉祥寺の門前町に住んでいた人々もまた、明暦の大火によって住処を失ってしまいます。このとき、幕府が代替地として斡旋したのが、現在の吉祥寺一帯でした。
当時は茅が生い茂るばかりの荒れ地で、牟礼野と呼ばれていました。この荒れ果てた地に移り住むことになった人々は必死に土地を開拓し、新しい村を築き上げます。そして村名を決める際に、かつての菩提寺であった「吉祥寺」をその名に採用したのでした。
その後、明治32年(1899)に甲武鉄道(現・JR中央線)吉祥寺停留所(現・吉祥寺駅)が開業すると、街は次第に発展し、現在の繁栄へとつながっていくのです。
なお、明治9年(1876)、青松寺境内にあった曹洞宗専門学本校が吉祥寺の旃檀林に移転し、明治15年(1882)、麻布に移転して曹洞宗大学林学校と改称。その後、大正2年(1913)に駒沢に移り、大正14年(1925)、現在の駒澤大学となりました。
もっと江戸の古地図を知りたい人におすすめの書籍一覧
『古地図で辿る歴史と文化 江戸東京名所事典』笠間書院編集部編(笠間書院)
本書は、主に『江戸名所図会』に載る名所・旧跡、寺社のほか、大名屋敷、幕府施設、道・坂・橋、町、著名人の居宅などを、美しさと実用性で江戸時代に好評を博した「尾張屋板江戸切絵図」と「現代地図」を交えて事典形式で解説。
『重ね地図でタイムスリップ 変貌する東京歴史マップ』古泉弘、岡村道雄ほか監修(宝島社)
現代の地図をトレーシングペーパーに載せて過去の地図に重ね、当時の地形からの変化を透かし地図でよりわかりやすく解説。縄文時代、徳川入府以前、徳川時代の江戸、関東大震災後(後藤新平の作った江戸)、昭和30年代以降、大きく変貌する前の東京の地図を掲載。新宿、渋谷、六本木など、重ね地図でその変化がわかる。
『カラー版重ね地図で読み解く大名屋敷の謎』竹内正浩(宝島社新書)
厳選された16のコースで東京の高低差を味わいつつ、楽しみながら歴史に関する知識が身に付く一冊。五街道と大名屋敷の配置には、どのような幕府の深謀遠慮が秘められていたのか?大名屋敷は明治から今日に至るまで、どのように活用されたのか? など多種多様な疑問に答える。高低差を表現した現代の3D地図に、江戸の切絵図を重ねることによって、「江戸」と「いま」の違いも一目瞭然。
『古地図から読み解く 城下町の不思議と謎』山本博文監修(実業之日本社)
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